「音楽業界への道標」 第21回 Shoさんインタビュー
振付師 Shoさんへインタビュー
第21回目となる今回は、アニメをはじめとした様々な作品でダンスの振付師として活躍するShoさんにお話を伺って参りました。
福岡から東京へ上京、挫折、そして再チャレンジと数々の苦難を乗り越えてきたShoさん。その原動力となるものは何か、今回もたくさんのお話を聞くことができました。
アニメ、ゲーム、アイドルといった日本のオタク文化に精通する提案を得意とし、クールな印象から、キュートな振付まで幅 広く対応。近年では「アニメ 物語シリーズ」「SEGA アーケードゲーム オンゲキ」等の振付 も担当し、消費者目線に立った表現を提供し、定評を得ている。
ーー今回は取材させていただきありがとうございます。現在振付師として活動されているShoさんですが、ダンス自体はいつから始めたのでしょうか?
ちゃんとダンスを始めた、という意味では高校生からです。
僕の母親が元々ダンサーで、幼少期からブラックミュージックに触れることが多かったんです。
中学生の頃は90年代のヒップホップにハマり、ラップをしていた覚えがあります。
ーーラップからのスタートだったんですね。
クラスで友達の前に立って披露したりしていました。その後高校に入ってからラップと並行しダンスをするようになってから、どんどんウエイトがダンスに寄っていき…という流れです。
ーー本格的にダンスにのめり込むようになったのは何かきっかけがあったのでしょうか?
高校の授業です。僕は福岡の高校の芸能コースに通っていたのですが、ダンスの先生がたまたま僕の母親の後輩だったんですよ。
その先生と色々話したり相談に乗ってもらっているうちに「ダンサーとして生きていく」という決意が固まりました。
ーー始めるとほぼ同時に決意するというのは珍しいことかと思います。
その先生の「あなたはダンサーの子供だし、きっとダンスをした方がいいんじゃない?」という言葉の影響が大きかったです。あとは、自分の母親は僕が生まれたことでダンスの夢を諦めたっていう部分も理由としてはあったと思います。
ーー高校を卒業してからはどういった活動をされていたのでしょうか?
当時は振付師としての活動などは全く頭になくて、ショーやMVなどとにかくプレイヤーとして活動するという方向で動いていました。
とにかく踊り続け、オーディションを沢山受けるような日々でしたね。
ーーダンサーの方は基本的にどのような形態でお仕事をしているのでしょうか?
僕もそうでしたが、基本はフリーランスで活動している方が殆どだと思います。
一つオーディションに受かったからといって次の仕事が約束されているわけではなくて、そこで泥臭く人脈を作ったり、新しいオーディションの情報をもらったりと大変でした。
とにかく爪痕を残すことに尽力していましたね。
上手くても協調性が無かったり、覚えるのが遅かったりだとなかなか仕事ももらえません。
ーーやはり過酷な世界なんですね。
オーディション自体もかなり厳しく、16小節の振り付けを15分で全部覚えるなんてザラにあります。
あくまで体感ですが、ダンスのスキルって実は3割くらいしか必要ないと思っていて、残りは人間力や、一種の”営業力”みたいなもののウエイトがかなり大きいです。
18、19歳くらいの頃は2週間くらい東京に滞在して、オーディションやレッスンなどで自分をひたすら売り込んでいました。
もっとも、今はSNSなどの発展で時代が変わってきてる部分もあるので何が良いとは一概に言えませんけどね。
SEGAアーケードゲーム「オンゲキ」[振付担当]
上京、そして挫折
ーー当時は福岡を拠点に活動していたのでしょうか?
そうですね。
上京のきっかけになったのは21歳くらいの頃で、とあるオーディションに受かって全国48公演のミュージカルに出ることになったんです。
ーーかなりの大舞台ですね。
ただ、そこで色々ありまして。
自分以外は大体みんな年上で人間関係にも非常に苦労しましたし、周りとのスキルの差、人間力の違いにも悩みました。しかも本番前に大きな怪我をしてしまって。なんとか出演することはできたんですが、本当に語り尽くせないくらい色々なものが重なってしまい…。
心がポッキリ折れてしまって、公演が終わったあと福岡に帰ってしまったんです。
ーーえええ!大きな仕事が決まって上京した矢先に、ですか。
ダンサーを目指してから「何としてもこれで飯を食っていく、頑張って仕事をゲットする」という突き抜けた気持ちで動き続けてきた反動もあって、本当に無気力状態になってしまって。「もういいかな。ダンスは趣味でやればいいや」ってくらいの気持ちになってしまったんです。
自分が当時やっていたチームや気の知れた仲間の元に帰りたい、っていう気持ちが大きくなって、活動している理由も失って。とにかく帰りたい、戻りたいみたいな。
とても大きな挫折でした。
ーーそんなことがあったんですね。
福岡に戻ってからは「地元を盛り上げたい」っていう気持ちで、ヒップホップダンスチームを組んで活動していました。今思えばその気持ちも”逃げ”からくるものだったんですけどね。
でもそうやって活動していくうちに再び自己顕示欲というか、認められたいっていう気持ちが徐々に芽生えてきたんです。
当時K-POPが流行っていたこともあって、「こういうグループがあったらいいんじゃないか」というアイディアから、地元の事務所に入ってダンスボーカルグループを結成したんです。そこで「よっしゃ、売れてやる!」っていう気持ちが戻ってきて、もう一度立て直しました。
いわゆるメジャー路線で売り出していたので、ヒップホップ界隈ではあまり歓迎されず後ろ指を指されたりすることもありましたが、自分の中ではもう心が決まっていたので精力的に活動しました。
ーー挫折から立ち直り、もう一度活動を続けるというのはとても凄いことだと思います。
そうかもしれません。自分の周りでも、向上心を失ってダンス自体を辞めてしまう人は多くいます。
ーーではそのグループで本格的に活動していき…どうなっていったのでしょうか?
それが、活動を始めた3ヶ月後にボーカルだけ引き抜かれてメジャーデビューしてしまったんですよ。
ーーーえええええ!?
「よっしゃ、やっと見つかった!これでやるぞ!!」っていう気持ちで再スタートしようと思っていた矢先のことでした。
もちろん納得できなくてボーカルと一度話をして一応折り合いはついたんですが、そこから二度目の挫折が始まりました。
やることがない、何を頑張ればいいか分からないという状態でしたね。
唯一乗った船が3ヶ月で沈んでしまい、他のメンバーだけ別の船に乗って先へ行ってしまったみたいな。(笑)
今だから笑って話せますが、当時は本当にキツかったです。
ーー大きな挫折が二度もあり、それでも立ち直ったのにはどういった理由があるのでしょうか?
それが、アニメと振り付けなんです。
DearDream / 「NEW STAR EVOLUTION」[振り付けアシスタント・モーションキャプチャ担当]
振り付けとの出会い
ーー現在はアニメ作品の振り付けを数多く担当しているShoさんですが、アニメ自体はいつ頃から好きだったのでしょうか?
もともと人並みには観ていたのですが、「けいおん!」を観て以降徐々に深夜アニメにハマり、気づいたら放送されているアニメを全部チェックしちゃうくらいになっていました。(笑)
ーーShoさんの中でアニメと振り付けはどう関係づいたのでしょうか?
ある日家のテレビでたまたまアニソン特集をやっていて、そこでDaydream café(アニメ「ご注文はうさぎですか?」OP)のMVが流れていたんですが、それを観た時に「あれ!?何これ!?」ってすごい衝撃を受けたんですよ。
その頃はアイドル戦国時代でもあり、声優ユニットなんかも沢山出てきていたのでダンスを目にする機会は多くあったのですが、どうしてもスキル的な部分というかダンサー目線で観ちゃうことが多いんです。
でもDaydream cafeは全部すっ飛ばして可愛さやときめきみたいなものを感じたんですよ。
ーーShoさんの中で閃くものがあったんですね。
当時のことはよく覚えていて、最初は横になって何となく観ていたんですが、AメロBメロと進んでいくうちにどんどん起き上がって前のめりになって。(笑)
それまでは地元で細々とインストラクターの仕事などをしていたのですが、Daydream cafeを観た時、「もうこうしてはいられない」と思い一気に以前の気持ちを取り戻しました。
そこで上手く舵取りが出来たというか、芯がぐっと決まりましたね。
ーーそこから振付師を目指した活動が始まったというわけですね。
Daydream cafeの振り付けをYumikoさんという方が担当していることを知り、そこからYumiko先生が手がけている作品をひたすら観て研究しました。
動きの一つ一つに意味があったり、”ダンサーとしての型”にはまることのない声優さんのキャラクターを尊重した振り付けだったりと、とにかく色々な発見があって「まずはこの人にアプローチしよう」と考えたんです。
東京にリベンジ
ーーそこから、再び上京を決意したんですね。
はい。Daydream cafeのこともありましたし、某アイドルアニメが好きすぎて「この作品に携わりたい!!」という思いも大きかったです。
ーー二度目の上京は勇気が要るものだったかと思います。
そうですね。前のようになってしまってはダメだと思い、まずは名刺を作り、ビジネスメールを覚え、クリアファイルに自分のプロフィールを詰めて…と、上京前にしっかり事前準備をしました。
上京してからYumiko先生の事務所へ直接自分の資料を渡しに行ったのですが、しばらくして「ぜひ一度お話をしてみたい」と連絡が来まして。実際にお会いし話をして、色々な縁もあって一緒にお仕事をさせていただくことになったんです。そこで振り付けの工程やノウハウなどを学び、今に至ります。
ーーでは現在手がけている振り付けのお仕事などは、基本的にそこから派生していったものなのでしょうか?
いえ、泥臭く自分の資料を色んな事務所に送ったりして、そこの繋がりでお仕事をいただくこともよくあります。
メールや直接資料を渡したりもしながら、「自分はこういうものが好きで、こういうものを目指しています」という旨を伝えるのですが、大体7〜8割くらいはお返事が返ってきますね。
REOL – ギミアブレスタッナウ[振付・ポージング指導]
ーー現在数多くの作品を手がけているShoさんですが、実際に振り付け自体はどのような意識で作っていくのでしょうか?
現場によってまちまちですが、僕が常に目指しているのは「言語化できる振り付け」です。
Yumiko先生の振り付けの影響も大きいのですが、一つ一つの動きに「ここは何故こうなったのか」という意味がある振り付けを意識して作るようにしています。
自分の中から自然に出た動きだとどうしても全部似たり寄ったりになってしまいがちなので、それを回避するという意味もありますし、それぞれのキャラクターや作品の個性を尊重したいという思いも大きいです。
最後に
ーー振付師も含め、今のダンス業界はどのような状態なのでしょうか?
音楽と同じく、全体の予算はどんどん下がってきているとは思います。言い方は良くないかもしれませんが、「究極の日雇い労働」みたいな部分もやっぱりありますからね。
でも振付師やダンスは絶対必要なものですし、今後も発展していく分野だと思うので、もっと地位も上がるといいなと思っています。
ーーShoさんは今まで数多くのオーディションを受けたり、事務所に直接連絡をして仕事を勝ち取っていらっしゃると思います。Shoさんがセルフプロデュースをする際、気をつけていることなどはありますか?
まずは「得意分野を明確にする」ということでしょうか。
あれも出来ます、これも出来ますっていう表現だと、結局何が得意なのかも伝わりづらいですし「じゃあ別の人でもいいじゃん」っていう風に思われてしまうことが多いと思うんです。
例えば僕の場合は「オタクで、こういうのが好きで、こんなに愛があるからコレに特化した振り付けは本当に得意です」っていう風に振り切って売り込みました。
そうすると自然と自分が売り込むべき場所も決まりますし、「数打ちゃ当たる」っていう営業じゃなくなりますからね。
ーーなるほど、確かにそうやって伝えた方が後々不得意な仕事が振られる可能性も少なくなりますね。
あとは自分の中で必要なもの、不必要なものをちゃんと考えるという点です。
僕にとって真っ先に切り捨てられるべきは「プライド」でした。だからこそ、ヒップホップ界で白い目で見られようとも”オタクであること”を全面に押し出すこともできたんです。
ーーありがとうございます。それでは最後になりますが、Shoさんのこれからの目標があれば教えてください。
日本のオタクカルチャーの振付師として、国内外問わず誰でも知っているような存在になりたいです。
色々小さな目標は沢山あるのですが、これが叶ったときには全て叶っている状態だと思うので、すごくシンプルではありますがずっと掲げている目標ですね。
ーーありがとうございました。
取材・執筆:momo (田之上護/Tanoue Mamoru)
profile:1995年生まれ。Digital Performer・Ableton liveユーザー。音楽学校を卒業後作曲家として福岡から上京。
2017年8月ツキクラ「STARDUST」に作・編曲で参加し作家デビュー。
「心に刺さる歌」をモットーに、作詞作曲・編曲からレコーディングまで全てをこなすマルチプレーヤー。
アートユニット「Shiro」の作編曲担当としても活動中。
ホームページ:Music Designer momo
TwitterID :@momo_tanoue