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「音楽業界への道標」第22回 NAOTOさんインタビュー

Author: sleepfreaks

ORANGE RANGE NAOTOさんへインタビュー

音楽業界への道標、第22回目となる今回はORANGE RANGEのギタリストでおなじみ、NAOTOさんにお話を伺って参りました!
2001年の結成から現在に至るまで精力的に活動を続けるORANGE RANGE。そのギタリストでもありメインコンポーザーのNAOTOさんがどのような思いで活動してきたのか、深い部分まで掘り下げてインタビューしましたのでぜひ読んでいただければと思います。

naoto_top2

NAOTOさん流作曲術

ーーお忙しい中取材させていただきありがとうございます。まずはNAOTOさんの現在の活動内容を教えてください。

ORANGE RANGE、そしてdelofamiliaのギタリスト・コンポーザーをメインに活動しています。

ーーORANGE RANGEではどのように曲が作られていくのでしょうか?

基本的には僕が曲を作り、歌詞はボーカルの3人にお任せしています。曲によってはベースのYOHも楽曲を制作しています。

ーーデモはどのくらいまで仕上げてメンバーに持っていくのでしょうか?

アレンジもほとんど出来上がった状態の、完成形に近い状態まで作り込んでメンバーに持っていきます。歌詞を入れた後にマイナーチェンジすることもありますが、基本的にはドラムやベースもしっかり作り込んだ上で演奏をお願いする形です。

ーー作曲はどのように進めていくのでしょうか?

思いついたメロディーをiPhoneに録音して、後から聴き返していいなと思ったらPro Toolsに落とし込んで組み立てていきます。
元々はLogicと並行して使っていたのですが、3年くらい前あたりからPro ToolsのMIDI編集機能がかなり進化していて「これだけでいいじゃん!」ということでLogicは使わなくなりましたね。

ーーその他の機材としてはどのようなものを使用されていますか?

ギターはFenderのストラトをずっとメインで使用しています。一番慣れていて使いやすいっていうのもありますし、もし壊れたとしても同じものがすぐ手に入りますからね。今でも同じモデルを数本所有しています。
音源に関してはソフト系はあまり使用しておらず、Nord LeadやMoogなどハード系の機材を好んで使用します。昔から使っているということもありますし、新しい機材を買っても結局昔から使っている機材や往年の名機に戻ってきちゃいます。

ーー曲は今までどのくらい作ってこられたのでしょうか?

リリースされている楽曲の3倍くらいは作っていると思います。
僕は数打ちゃ当たる方式というか、無駄打ちの中から良いモノを生み出すタイプだと思っているので。
曲を作るときも「めちゃくちゃ時間をかけて作る」というよりは、アレンジの段階で自分がノレなければすぐに捨てちゃいますし、歌録りまで終えていても自分の中で熱が冷めてしまったものはそのまま放置しちゃったりします。

ORANGE RANGE – SUSHI食べたい feat. ソイソース

バンド結成からデビューまでの道のり

ーーもともとNAOTOさんはいつから音楽を始めたのでしょうか?

兄がミュージシャンという影響もあって、中学生くらいの頃からAKAIのサンプラーやRolandのMC-303というグルーブボックスを使ってトラックを作ったりはしていました。
ただその頃は遊びのようなものだったので、本格的に音楽活動を始めたのは高校生になってORANGE RANGEを結成してからです。

ーー高校生の頃はどのくらいのペースで活動していたのでしょうか?

高校3年生の頃は学業と並行して年間70本くらいライブをしていました。
とは言ってもちゃんと演奏出来る場所がそんなに無いので、みんな道端とかでライブしていましたね。

ーー今も昔も、多くのバンドが一番苦労するのは集客だと思います。そのあたりは何か工夫をされていたのでしょうか?

沖縄での音楽活動って結構特殊で、”その場所”にお客さんがついているんですよ。だから誰がいつやっても自然に人が集まってくるような状態でした。
あとは近所のイオンの広場を貸してもらってそこで演奏したり。

ーー僕もそうでしたが、イオンは田舎者の聖地ですからね。(笑)

そうなんです。休日は同級生も、おじいちゃんおばあちゃんも皆そこに集結するので嫌でも人が集まるというか。(笑)
そのあたりはすごく恵まれた環境だったと思います。

ーーすこし話が逸れてしまいますが、当時の沖縄の音楽シーンってどんな状態だったのでしょうか?

結構地域によって音楽性が分かれていました。那覇市はメロコアやハードコアの文化が強くて、僕らの出身地であるコザは米軍基地の影響もあってヒップホップやテクノなどのダンスミュージックが流行っていました。
当時は地域によって音楽性が全く違いましたね。

ーーNAOTOさんは元々どういった音楽を好んで聴いていたのでしょうか?

僕はテクノやヒップホップ、レゲエですね。
その後高校に入って友達が増えたり、バンドを始めたことをきっかけに好きなジャンルが一気に増えました。

ーー高校生で結成したORANGE RANGEですが、デビューまではどういった経緯があったのでしょうか?

ライブ活動を続けているうちに音楽関係者の方が声をかけてくれて、「オレンジボール」という全国流通盤のCDをリリースすることになりました。楽曲自体はたくさんあったのですが、レコーディングをしてCDを作ったのはそれが初めてでした。

その後メーカーさんに声をかけていただいたことをきっかけに、2003年にメジャーデビューが決まりました。僕がちょうど20歳になった頃ですね。

ーーでは結成してからデビューまではあっという間だったんですね。

初めてのバンドで、しかも短期間でデビューしたので正直よく分からない気持ちだったというか、結構のほほんとしていました。もちろん性格的なものもあると思いますが。

ーーデビューして全国から色んな反応が届くようになっても、やはり実感があまり無いような状態だったのでしょうか?

そうですね。当時音楽業界自体も盛り上がっていたのでデビューするアーティストも多く、「みんなこういうことやってるんだろうな」っていう気持ちでした。
数年経って状況が落ち着いてからようやく「すごいことだったんだ」って思えるようになりましたが、あんまり噛み締められていない感じはありましたね。(笑)

ORANGE RANGE×MONGOL800 – 以心電信

メジャーの世界

ーーORANGE RANGEは楽曲のリリースのペースがかなり早かったですよね。

元々あった曲をどんどん音源化していったというのもありますし、なにより活動の意欲が凄かったんです。
当時のディレクターさんが「あまり出し過ぎてもよくない」「ちょっと一回休んだ方がいいんじゃない?」っていう風に困っていても、いやいやすぐ出しましょう!みたいな状態でした。

ーー基本的にはリーダーであるNAOTOさんがバンドを引っ張っていくようなスタイルなのでしょうか?

活動のアイディアなども僕が出すことが殆どなのですが、メンバーみんな面白がってやってくれるんですよ。「これは嫌」って言われた記憶が無いくらいです。
僕が逆の立場だったら絶対文句言ってると思うんですけど(笑)、みんな楽しみ方が分かっているんだと思います。

あとはメンバーみんな音楽性がバラバラだったっていうのも逆によかったんだと思います。ぶつかる原因になってしまいますからね。

ーーウィキペディアに載っていたのですが、NAOTOさん発案の「ORANGE RANGEをアイドル路線にする」というのにはどういった意図があったのでしょうか?

ギャップを作りたかったんです。アイドルっぽい売り出し方をしているのに、中身を覗いたら何か変なことをやってるみたいな。

「musiQ」というアルバムをリリースした際、”分かりやすさ”みたいなものもあってヒットしたのかなと。そのタイミングで「今なら皆が注目している」と思い、10ヶ月という短期間で「ИATURAL」というめちゃくちゃマニアックなアルバムを出しました。
みんなに見られているイメージをひっくり返したいっていう思いがありましたね。

ーーちなみにお答え出来る範囲で良いのですが、活動していく中でメジャーの世界でよく聞く「レコード会社側と衝突!」などはあったのでしょうか…?

結構よく聞かれるんですが、僕らは全然無かったです。制作以外の部分でも同様ですね。
ディレクターさんもプロデューサーさんもノリが一緒で、普通ストップをかけた方がいいようなことでもどんどんGOを出してくれました。
ちょっとやり過ぎた部分もありますが(笑)、メンバー含め本当に人に恵まれていたと思います。

メジャーからインディーズへ

ーーORANGE RANGEは2010年から自主レーベルであるSUPER ((ECHO)) LABELを立ち上げインディーズへ転向しましたが、これにはどういった経緯があったのでしょうか?

2009年、2010年辺りはSNSやYouTubeの出現によって情報発信の仕方が変わりつつある時期だったんですが、今みたいにまだ一般的なものではなかったため、自由にツールを使うことが出来ない状態だったんです。
僕はそういう新たな流れが好きで、「今日作った楽曲を明日配信する」みたいなこともやりたかったんですが、そういうのもなかなか出来なくて。当時のディレクターさんも頑張ってくれたんですけどね。
でも皆が使った後に乗っかるよりも、今やっておいたほうが絶対面白い戦略や実験が出来るなと思ったんです。タイミング的にも、ベストアルバムを出した頃だったのでちょうど良かったということもありました。

インディーズに転向する旨をメーカーの方々に伝えた時も「お前たちがそう思うなら良いよ」というように気持ちよく送り出してくれて、本当にいい人たちに恵まれたなと思いましたね。

その後はレーベルの中にSUPER ((ECHO)) LABELを立ち上げ、2011年辺りからは独立してセルフマネジメント、レーベルとして活動しています。

ーー自分たちで活動するようになってから一番苦労したことはなんですか?

全部です。MV一つ作るにしても勝手が全然分からないですし、監督のマネージャーにも自分たちで全部連絡しないといけませんからね。
お金周りのことも全然分からないことばかりで、スタジオを借りるのにもすごく費用がかかることを知ってびっくりしました。
今まで音楽を作ることだけしかしてこなかったこともあり、音楽以外に考えることが沢山あって大変でした。

ORANGE RANGE、NAOTOさんのこれから

ーー活動方法にはどんな変化がありましたか?

お客さんとの距離を詰めるような活動にしたことで、より結びつきが強くなったと思います。
例えば近年のツアーで地方に行った時は、地元のダンサーさんや吹奏楽部と毎回コラボするんですよ。
15周年の47都道府県ツアーも、各地で地元の方々とコラボしました。

そうやって色んな人との繋がりを作っていく中で、自然とお客さんも増えましたし客層も広がりました。

ORANGE RANGE LIVE TOUR 016-017 ~おかげさまで15周年!
47都道府県 DE カーニバル~ at 日本武道館

ーースタンスがインディーズだからこそできる、とても素敵な活動ですね。

あとは地方でライブをするときは、あえて県庁所在地を外したりもしてます。
単純に誰もやっていないというところに魅力を感じますし、僕自身も那覇市から離れた場所に住んでいるので分かるんですが、同じ県でも毎回違う場所でライブをすることで新たなお客さんとも出会えますし、僕らも旅行のような楽しさを味わえるのでwin-winというか。

ーー作曲にしても活動スタイルにしても、NAOTOさんは常に前進し続けている印象です。その原動力とは一体何なのでしょうか?

色んなことに興味があるからだと思います。
メジャーで活動していた頃もとにかくやりたいことが多過ぎて、アイディアを一つ一つ力技で実現していました。
さっきの「数打ちゃ当たる」の話じゃないですけど、色々挑戦して失敗した中から成功が生まれると思っています。
今でもやりたいことはいっぱい出てきますし、音楽活動も音楽自体も全然飽きないですね。

ーーNAOTOさんのこれからの目標があれば教えてください。

今は2年に一度アルバムをリリースして、毎年ツアーやフェスをして…という活動サイクルなのですが、これを続けていければいいなと思います。
ライブも毎年ホール規模で演奏することが多いのですが、色々な仕掛けも作れるし自分たちのキャパシティーに合っているのかなと。
今の活動を、浮き沈みなく続けていけたらいいですね。

ーーありがとうございます。それでは最後にこの記事を読んでいる方に向け、NAOTOさんが思う”音楽をやっていく中で一番大事だと思うこと”を教えてください。

よく「音楽は自由だ」と言われますが、本当にその通りだと思っていて。
僕は考えるよりもまず行動してみて結果で判断するタイプなので、もちろん失敗することも多いです。
でもまずはやってみて判断するっていう方法で十何年も活動を続けることが出来たので、間違っていなかったと思っています。

せっかく音楽は自由なものなんですし、食わず嫌いせずどんなくだらないように思えることでもまずはやってみることをお勧めしますよ。

ーーありがとうございました。

読者プレゼント

そして今回NAOTOさんのご好意で、読者プレゼントをご用意致しました!

TwitterにてSleepfreaks公式アカウントをフォロー&ハッシュタグ「#音楽業界への道標」とツイートしていただいた方の中から抽選で1名様に、NAOTOさん直筆サイン入りポスターをプレゼント!
応募期間は8/17(金)〜8/24(金)となっており、当選した方にはDMにてご連絡させていただきます。

こちらのプレゼント企画は終了いたしました。
たくさんのご応募誠にありがとうございました。

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新譜情報

ORANGE RANGEは8月29日にニューアルバム「ELEVEN PIECE」を発売予定です。こちらも要チェックです!

ORANGE RANGE – Hopping

https://www.youtube.com/watch?v=3aDra51RXjQ

ORANGE RANGE – Ryukyu Wind



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取材・執筆:momo (田之上護/Tanoue Mamoru)

Sleepfreaks_momo_profile
profile:1995年生まれ。Digital Performer・Ableton liveユーザー。音楽学校を卒業後作曲家として福岡から上京。
2017年8月ツキクラ「STARDUST」に作・編曲で参加し作家デビュー。
「心に刺さる歌」をモットーに、作詞作曲・編曲からレコーディングまで全てをこなすマルチプレーヤー。
アートユニット「Shiro」の作編曲担当としても活動中。

ホームページ:Music Designer momo
TwitterID :@momo_tanoue