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「音楽業界への道標」第20回 DJ和さんインタビュー

Author: sleepfreaks

J-POP DJ DJ和さんへインタビュー

音楽業界への道標、第20回目となる今回は様々なイベントやフェスに出演しつつ、J-POP DJとして数多くのCDをリリースしているDJ和(かず)さんに取材を行いました。
DJの世界や練習方法、今後の野望まで今回も色々とお話を聞くことができましたので、ぜひご一読くださいませ。

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DJ和|profile
2008年にソニー・ミュージック初のJ-POP DJ第1号としてメジャーデビュー。
ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズにてDJの活動と一緒にA&Rとして二足のわらじで活動をしている。
日本語のみのDJプレイを主軸に置きながら、NHK「シブヤノオト(ex: MUSIC JAPAN)」の会場DJを8年以上担当し続け、ROCK IN JAPAN FESTIVALやANIMAX MUSIXなどジャンルを問わず大型フェスから数々のイベントに出演。
積極的に海外のイベントにも出演を続け、ロサンゼルス、ドイツ、イタリア、シンガポールを始め、10カ国以上のイベントに出演し日本語の楽曲のみにこだわった選曲でフロアを熱狂させ話題を呼んでいる。
代表作は「J-ポッパー伝説」「A GIRL↑↑」「J-アニソン神曲祭り」などがあげられ、最新作の「ラブとポップ ~好きだった人を思い出す歌がある~ mixed by DJ和」は2017年8月9日の発売後、オリコンアルバムデイリーランキング最高1位*(2017年9月18日付 オリコン調べ)を記録し、J-POPコンピMIXCD史上初となる第32回日本ゴールドディスク大賞 企画アルバムオブザイヤーを獲得し、CDはすでに30万枚を突破する自身最大のヒットを記録。全24作品シリーズ累計セールスは145万枚を突破。

ーー今回は取材させていただきありがとうございます。それではまず改めて、現在の和さんのお仕事内容からお伺いしてよろしいでしょうか?

DJとしてクラブイベントやフェスなどでパフォーマンス活動を行なっています。DJとはディスクジョッキー(disc jockey)の略で、会場やイベントに合わせて選曲し、様々な音楽を繋ぎながら流していく人たちのことを指します。
DJとしての活動の他には、業務委託という関係でソニー・ミュージックレーベルズにてディレクターのような仕事もしています。二足わらじのような感じで、オフィスワークもしつつ週末はDJをするような生活です。

ーー和さん自身は作曲などもしているのでしょうか?

いえ、僕はしていないですね。世界的に有名なDJさんの多くは自身で作曲したものをパフォーマンスする場としてDJをするのですが、僕の場合は好きな音楽を「みんなで共有する」ということがやりたくてDJを始めたので、今はプレイヤーとしての活動のみになります。

男子校×ヒップホップ

ーーもともと和さんが音楽に触れたきっかけはどういったものだったのでしょうか?

僕は本当に普通の家庭で、例えば小さい頃から音楽が溢れていたとかレコードが沢山あった、みたいなことはなかったです。小中学校の頃はテレビで流れてくる音楽を聴いているくらいでした。
ちなみに初めて買ったCDはSPEEDの島袋 寛子(hiro)さんのソロデビューCDでしたね。

ーーそこからどのような経緯で音楽に傾倒していったのでしょうか?

高校が男子校だったんですけど、なぜか周りにヒップホップ好きな人が多かったんです。ブレイクダンサーやDJ、ラッパーの人がいたりして、その影響で洋楽を聴き始めました。

ーー軽音楽部などではなく、ヒップホップが流行っていたのは少し珍しい気もします。

もちろん軽音楽をしている人もいましたが、僕の通っている高校ではヒップホップの方も同じぐらい流行っていたように思います。
洋楽を聴いていくにつれ、海外の雰囲気やファッションに憧れを持つようになり、上下ダボダボの服に真っ白なエアフォースワンを履いて、ボウズ頭にニューエラのキャップを斜めに被って…みたいな格好をしていました。

Young hip-hop dancer on white
(画像はイメージです)

ーーボウズ頭だったんですか!(笑)

海外の人たちはボウズかドレッド、短髪な方が多いですからね。剃り込みなんかも入れていたと思います。普通に見たらただの田舎のヤンキーみたいなんですけどね。(笑)

高校2年生くらいの頃、近くの席にDJをやっている人がいたんですが、仲良くなったことをきっかけに家へ遊びに行ったんです。
そしたらその友達の兄がレコードを沢山持っていて、ターンテーブルも家に置いていて。それがかっこよくて「自分も欲しいな」と思って購入しDJを始めました。
その頃から自発的に音楽を探して聴くようになりましたね。今はもう無くなってしまった店も多いんですが、渋谷の宇田川へ行ってよくレコードを探していたことを覚えています。

DJの世界

ーー高校生からDJを始めたとのことで、その頃からイベントに出演したりはしていたのでしょうか?

高校の頃は一度も人前でやらなかったですね。あったとしても数人の友達か、家族の前でやるくらいで、基本的にはずっと一人で練習をしていました。

ーー「DJの練習」というのはどういったものなのでしょうか?

僕の場合スクラッチみたいな派手なプレイというよりは、友達から教えてもらったプレイの基本ばかり練習していました。
DJの基本は繋ぐ前後の楽曲のテンポを合わせることです。ヒップホップの場合は似たテンポの曲が多いので、「合わせて繋ぐ」という本当に基本的な部分をひとり部屋で黙々としていました。

ーーそういった基礎があるからこそのDJプレイなんですね。実際にイベントに出るようになったのはいつ頃からなのでしょうか?

大学生に上がってからですね。
高校生の頃から、姉がよく行っているイベントに自分も連れて行ってもらったりはしていたので、大学に入ってからは一人で色んなイベントに顔を出すようになりました。
そうやっていくうちにどんどん知り合いが増えていき、「うちのイベントにも出てみないか?」という誘いが来て…といった流れです。

ーーイベントでDJをする場合、なにか条件のようなものはあるのでしょうか?

基本的なことが出来ればとりあえずは大丈夫だと思います。スキルを見て呼ばれるというよりは、最初は知り合いづてにイベントに出る回数が多かったです。
よくフライヤーを持って色んなイベント会場で宣伝していました。

ーー大学に通いつつ、精力的に活動されていたんですね。

初めてDJをした時は10人くらいしかフロアにいなかったんですが、それでもすごく緊張して前を見れなかったことを覚えています。
あと、イベントに出始めの頃は人が少ない時間に出演が割り当てられることが多いので大変でした。
クラブイベントって大体22時頃〜明け方までやっていることが多いんですが、みんな終電で来ることが多いのでオープンして最初の時間帯とかは大抵人がまばらなんです。
そういった時間は新人がDJをして、一番盛り上がる午前2〜3時くらいにベテランさんや有名な方がDJをするというのが常です。

ーーイベントに沢山出演しているとお金もかかりそうです。

そうですね。でも僕の場合はイベントで、というよりはレコードにお金を使うことが多かったです。

今でこそネットで色んな音楽がすぐに手に入るようになりましたが、当時はやっぱりレコードを持っているか持っていないかの差はすごく大きいんですよ。プレミア物のレコードを持っている人を見て「羨ましい!」なんてこともよくありました。

デビューまでの道のり

ーーそうしてイベントに出演しつつ、CDデビューしたのは何歳くらいの頃だったのでしょうか?

2008年、ちょうど今より10年くらい前なので…確か大学4年生くらいの頃だったと思います。

ーーかなり早いデビューですよね。そこにはどういった経緯があったのでしょうか?

西麻布の、メインフロア内でけっこうディープなテクノをガンガン流しているようなイベントに、J-POPのDJとして飛び道具的な要員で出演することになったんです。
僕はメインフロアではなくラウンジのような場所でDJをしていたんですが、明け方4時でみんなお酒が回っていることもあって、めちゃくちゃ盛り上がっちゃったんですよ。

ーーテクノが流れるイベントの、しかもラウンジでですか。(笑)

お客さんはみんな爆笑してましたね。「コイツやべえの流してる!しかも繋ぐぞ!?」みたいな。(笑)

そしたら「これを流して欲しい」と何度もリクエストしてくるお客さんがいて、そのリクエストに合わせながらDJをしていたんです。
イベントが終わって挨拶をしに行ったんですが、実はその方がソニーの人で。今の僕のプロデューサーなんです。

ーーえええ!すごい偶然ですね。

それからしばらく経ってその方に「CDを出したいです、絶対売れますから!」と連絡をとり、色んなタイミングも相まってCDデビューすることが決まりました。

ーー偶然によって生まれた縁を繋ぐことができたというのはとてもすごいことだと思います。

初めてお会いしたイベントの時に名刺交換と合わせて自作のJ-POPミックスCDも数枚渡したんですが、後から聞くとそれがソニーミュージックの社内で話題になったらしいんです。
それまでJ-POPのミックスCDって殆どなくて、あったとしても歌謡に寄っていたり、クラブに寄っていたり。
僕の作ったCDは本当に誰でも知っているような曲を集めたものだったので、そこに新しさを感じてくれたんだと思います。

ーー和さんはもともとは洋楽でDJをプレイしていたとのことですが、J-POPを流すようになったのにはなにか転機があったのでしょうか?

イベントに出始めて2、3年くらい経った頃から他の人と差別化しなくちゃいけない、もうワンランク上に行きたいと思うようになりました。
ちょうどそう思っていた頃に、クラブのスタッフでヒップホップ好きの人が、半分おふざけみたいな感じでJ-POPイベントを開催することになったんです。普段ヒップホップしか流れていない場所でJ-POPを流すっていう、ある意味ネタみたいなイベントだったんですけど、そのイベントに行って衝撃を受けたんですよ。
ヒップホップ的なビートを保ちつつ、様々な曲をスクラッチなんかを交えながら繋いで行き、それに合わせてみんな歌って飛び跳ねていて。

今でこそ色んなジャンルのイベントが増えましたが、やっぱり当時はオリコンのトップチャートに並ぶような音楽ってアンダーグラウンドの世界では敬遠されがちだったんです。イベントでも「洋楽しか流しちゃいけない」っていう暗黙のルールのようなものがあったりもして。
でも敢えてそのJ-POPを持ち込むというのが、すごく面白いなと思って。
第3回目くらいからそのイベントでDJを回すようになりました。そこから人生が変わりましたね。
自分のプレイに少しずつJ-POPを取り入れていくうちに、飛び道具要員としてイベントに呼ばれることが増えてきて。結構みんな笑ってくれるんですよ。
そうやっているうちにソニーの方と出会って…というさっきのお話に戻るわけです。

DJ和 「フェス、その前に」15秒CM

自分で新しい道を拓いていく

ーーJ-POPのミックスCDはどうやって作られていくのでしょうか?

今はもう20枚以上リリースされているので色々変化している部分もありますが…。最初のCDの場合でお話しすると、まず入れたい曲をピックアップしていく作業から入ります。
大体30曲くらい収録するのですが、その3、4倍くらいピックアップします。
その後入れたい曲の優先順位をつけて、権利元に使用許諾をとります。

ーー許可をとるのも大変そうです。

特に初めの頃は「誰もやったことがない」ということで、まずそもそもDJ MIXとはっていう説明からする必要があったので大変でした。
しかもワンコーラスしか収録しなかったり、DJなのでBPMも変えたいのですが、そこに理解を示してもらうというのはとても難しい作業でしたね。

ーー誰もやらなかったことを、「いける!」という確信を持って実行するのはとても勇気の要ることだと思います。

今ではだいぶ浸透してきて、許可を得やすくなってきたので嬉しく思います。

許可をいただいたあとは曲順を考えます。
1単位というよりはアルバム全体の流れを考え、「聴き終わったあとにどんな気持ちになるか」という点を重要視しています。

ーーこの辺りはミックスCDだけに限らず、どのアーティストでも考える部分ですよね。

もちろん途中で聴くのを止めたりとかそういうこともあるとは思うんですが、やっぱり「一つの作品」ですからね。
曲順を決める時はアルバムを全部聴いて並べ替えて、また全部聴いて…という繰り返しなので相当時間がかかります。

ーー全部通しで聴いて確認するんですか!?

そうです。夕方から数人で確認作業を始めて気づいたら朝、なんてこともよくありました。

また曲の繋ぎも、J-POPって本当に多様なので一苦労です。BPMを変更せずどうすれば綺麗に繋ぐことが出来るのか等々、初めは試行錯誤の連続でした。

ーー本当に大変な作業なんですね…。そこまでしてCDを作るのには、どういった思いがあってのことなのでしょうか?

クラブに行ったことがない人でも気軽に聴けるようなCDを作りたかったんです。
クラブの世界ってどうしても限られた人しか行かない世界というか、あまり身近なものではない状態というか。このままだとどんどん衰退していってしまうという危機感もありました。
だから誰でも来れる、親しみやすい場所にしたいなっていう思いがずっとあるんです。そういった意味ではJ-POPはいい切り口になりますし、その文化を取り入れることでもっと幅広い層が楽しめるんじゃないかなと考えました。
こういったCDが広まることによってクラブの世界にも何かいい影響があるんじゃないかという思いが強かったですね。

ーーもともと敬遠されていた分野を切り拓くにあたり、苦労も多くあったと思います。

CDを作る時ももちろんそうですし、イベントでもウケないこともありました。
J-POPを流した途端お客さんがみんな出ていてしまったりとか、とあフェスで瓶ビールが飛んできたこともありましたね。

でもJ-POPのDJとして生きると決めた時から賛否両論起こるのは分かっていましたし、それでも試行錯誤しながら活動を続けたことでクラブシーンも少しずつ変わってきました。CDを作るときもみんな昔より優しくなりましたしね。

「ラブとポップ mixed by DJ和」CM ロングver

DJをやってみたい方へ向け

ーー和さんが現在DJで使用している機材を教えてください。

メインで使用している機材としては、ターンテーブルはTechnics SL-1200MK5、DJミキサーはPioneer DJM-900NXS2、DJソフトウェアはSerato DJ Proです。
基本はアナログターンテーブルをコントローラーとして使いながらも、PCの楽曲データと連動するDJソフトウェアを使う「DVS」というシステムでやっています。

ーーこれからDJを始めたい方へ向け、おすすめの機材はありますか?

PioneerDJのDDJ-400なんかは先日発売されたばかりの機材なのですが、お手頃ですし将来「CDJ」というクラブのデフォルト機材に転向していきたいと考えている方には間違いないですね。
また今はスマホやiPadなどでも簡単な事はできますし、本当に手軽に始められるようになってきていると思います。

DJを始めるにあたっては、やっぱり一番いいのは色んなイベントに行って知り合いをつくることです。DJによって色んな個性があり、曲の繋げ方や煽り方、立ち振る舞いからヘッドフォンの掛け方まで…様々なスタイルがあるので勉強になると思います。
とはいえいきなり行くのが怖いという方もいるかと思うので、まずは友達の前でDJをしたりとか、そういうやり方も全然いいと思います。

終わりに

ーー和さんがDJをする中で、どういった時に一番喜びを感じますか?

自分とお客さん、会場にいる全員が一つになる瞬間っていうのがたまに起きるんですが、その瞬間が一番好きです。
アーティストのワンマンライブだとそれを好きな人しか集まらないですけど、DJイベントの場合はみんな好きな曲もアーティストもバラバラじゃないですか。
そんな中で、DJの”楽しい”とお客さんの”楽しい”がぶつかり合って共鳴して、完全に一つの気持ちになっている空間が、最高に楽しいです。

ーーとても素敵です。それでは最後に、和さんのこれからの目標を教えてください。

昔から変わっていないんですが、DJを楽しむ人口をもっともっと増やしたいです。
音楽好きは沢山いますけど、DJで楽しむっていう文化はまだ定着していないというか。
カラオケみたいにどの世代でも、年配の方でも楽しめるものだと思っていますし、むしろカラオケよりも楽しいものだと思っています。
もちろん自分だけじゃできないことも沢山ありますが、地道にコツコツ活動を続けてもっとDJを身近な存在にできればいいなと思います。



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取材・執筆:momo (田之上護/Tanoue Mamoru)

Sleepfreaks_momo_profile
profile:1995年生まれ。Digital Performer・Ableton liveユーザー。音楽学校を卒業後作曲家として福岡から上京。
2017年8月ツキクラ「STARDUST」に作・編曲で参加し作家デビュー。
「心に刺さる歌」をモットーに、作詞作曲・編曲からレコーディングまで全てをこなすマルチプレーヤー。
アートユニット「Shiro」の作編曲担当としても活動中。

ホームページ:Music Designer momo
TwitterID :@momo_tanoue