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「音楽業界への道標」 第16回 山内真治さんインタビュー

アニプレックス 山内真治さんにインタビュー

音楽業界への道標、第16回目となる今回はアニプレックスで数多くの作品をプロデュースしている山内真治(やまのうち まさはる)さんにお話を伺って参りました。
長年にわたり、アニメソングをはじめとした日本の音楽業界の最前線に携わってきた山内さん。アーティスト育成術から海外展開の現状などなど、ここでしか聞くことのできないお話が盛り沢山となっております。ぜひご一読ください!

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ーーお忙しい中取材を引き受けてくださりありがとうございます。ではまず、現在の山内さんのお仕事内容から伺ってもよろしいでしょうか?

株式会社アニプレックスで、音楽プロデューサーとして日々アニメ音楽・ゲーム音楽の制作をしています。
弊社の事業は多岐に渡っていて、アニメやゲームの制作・宣伝、運営、国外・国内ライセンス、MD、EC等のセクションがあり、自分は音楽制作のセクションで責任者を務めながら現場も担当している、という感じです。

自社でも制作しつつ、様々なクリエイターさんを抱えている会社ともお付き合いさせてもらって、大体年間500曲ほどの制作をしています。
そうやって出来上がった作品の、最終的な出口でのクオリティチェックは全て僕らがやっています。

ーー山内さんはどのような経緯で今のお仕事に就いたのでしょうか?

1993年に新卒でソニー・ミュージックエンタテインメント(以下、SME)のソニーレコードに入社し、宣伝業務を5年ほど行いました。その後A&Rとして様々なアーティストの担当をして、2010年からアニプレックスで本格的にアニメ音楽の制作に携わるようになりました。

ーー元々山内さんがSMEに入ろうと思ったキッカケは何だったのでしょうか?

学生時代にオリジナルバンドをずっとやっていたのですが、当時はイカ天(三宅裕司のいかすバンド天国)全盛期で、ざっくり言うと、これに出ていないバンドは実力があってもポリシーとして出ないか、ただくすぶっているか、のどっちかだったんです。僕らのバンドはくすぶっている方で、それでもレコード会社の人がライブを見に来てくれたりとかはあったのですが、やっぱり大学生になるとみんな考え方にずれが生じるというか。プロを目指して活動していたのですが、メンバーそれぞれの齟齬みたいなものがバンドに対する情熱を徐々に削っていき、消滅に近い形で無くなってしまいました。

でも音楽を作ることにはすごく関わりたくて、「じゃあブースの反対側に行ける方法はないか」と考え、レコード会社やプロダクションの入社試験を受けました。それで某プロダクションに内定をいただいたものの大学が卒業できず、もう一年就職活動した末にSMEに受かり、入社することができました。

ーーもともとはバンドをされていたんですね。SMEに入社後は宣伝をされていたということですが、まず何から始めるのでしょうか?

当初は紙媒体担当からスタートでしたね。中堅どころの音楽専門誌や学年誌にアーティストの楽曲資料を持って行きプロモーションをする仕事です。
翌年はラジオのプロモーションを担当し、その後は東北でエリアプロモーションを担当したりと、色々なことを経験しました。

ーー「制作に携わりたい」という思いで入社したのにも関わらず宣伝のお仕事を5年間というのは、「やりたいことと違う」というフラストレーションが溜まるものではなかったのでしょうか?

確かに元々ディレクターになりたかったんですが、もし最初からそうなっていたら、結果的に何も出来なかったと思います。宣伝を担当して思ったのは、「この業務を知っておかなければ、もし自分が音楽を作ってもそれはマスターベーションに過ぎなかっただろうな」ということです。
特にエリアプロモーションマンとして宣伝をしていた時は、担当エリアに関してはメディアのブッキングから宣伝プランニングまで、どのアーティストの担当者も自分を頼って来てくれる訳で、そのエリアのアーティストプロモーションに関しては全て自分が責任を持ってやらなきゃいけないと思って必死でした。
ソニーレコードは所属アーティストの幅が広く多岐に渡っているレーベルだったので、時に制作に携わっている方の話を直接聞くことができたり、プリンセス・プリンセスから演歌歌手の方まで、会いたかった憧れの人も含め、本当に数多くのアーティストに何らかの形で関わることが出来たので、そういった部分もすごく糧になりましたし、人脈も広がったと思います。

ーー色々な仕事を経験しながらも、今後の自分の仕事に生かす道が見えていたということですね。

売れているアーティストを見ていると、宣伝と制作がちゃんと両輪で機能していたんです。
当時は宣伝と制作の仲が悪いことが多くて、パートナーという感覚があんまり感じられなかった現場も多かったんですね。宣伝はリスナーが何を欲しがっているかっていうのを肌感覚としてよく知っているし、制作から降りて来るものだけでなく、宣伝側から売れる音楽っていうのを提案して制作に生かしてもいいんじゃないか、と思っていた時に、A&Rという言葉を知りました。

ーー当時はA&Rという役職がそもそも無かったのでしょうか?

言葉自体は元々あったのですが、いわゆる欧米のレコード会社のシステムだと思っていて。日本は芸能界の歴史で、制作のディレクターがやっぱり一番偉かったんです。なので僕も最初は制作のディレクターに憧れて入社しました。でも宣伝の仕事をしていくうちに考えが変わり、その後当時のSMEの社長から社員に配られたクライヴ・デイヴィス著の書籍でA&Rの何たるかを知り、「自分がやりたいのはこれだ!」と思いました。

ーー以前の小川さんのインタビューでも、「A&Rはとても広い捉え方ができる」と仰っていました。

今の時代マーケティングもきちんと理解できていないと仕事にならないですし、そういった意味ではプロモーションなどのマーケティング手法に長けている人がA&Rとして、音源制作は外に頼むのか社内に頼むのかも含めて発注先を決めるという、プロジェクト統括の意味合いが強いかもしれないですね。
キャスティングコーディネーター&プランナーみたいなものでしょうか。

その後、織田哲郎プロジェクトなどのA&R業務に関わった経験を経て、制作ディレクターとしてはSIAM SHADEを担当する所からキャリアをスタートしました。
2002年のSIAM SHADE解散後はなかなかヒットアーティストを世に送り出すことができず、自分が給料泥棒のように思えてきて軽く病んだ時期もありました。

ーーそうだったんですね。

周りからはそう見えていなかったと思いますけどね。でも制作マンとしてやっぱり売れているものが手元にいないというのはすごく辛いです。ましてや社内別チームの誰かしらがヒットを出してたりとかすると、やっぱりそこに人も”良い気”みたいなものも集まります。こっちはどんどん、どんよりと鬱になっていって…みたいな。

ーーそこからどうやって切り替えたのでしょうか?

多分これは天性のものというか天然で鈍いのかもしれないですが、ある瞬間からスイッチをパチンと切り替えることが出来たんです。一応どういった状況であれ役割はそこにあるわけで、その、はんちゅうでなら新しい挑戦をしてもいいんだっていう風に発想を切り替えました。
というか、切り替えなきゃいけないタイミングが何回かあったんです。(笑)

ーー「何もないから何でもできる」というように考えを切り替えたんですね。

そうやって色々試行錯誤しつつ、新しいアーティストを探しているうちに出会ったのがORANGE RANGEです。渋谷のタワーレコードでインディーズバンドのCDを漁っていた時に「オレンジボール」っていうインディーズ時代のミニアルバムを発見して。決して演奏が上手いわけではなかったのですが、何故かすごく気になって。当時の九州エリアの新人発掘担当スタッフに頼んでライブ映像を撮ってきてもらって、映像を見たときに「これはいける!」と確信めいたものを持ったので、上司を説得して沖縄まで彼らのライブを観に行きました。結局彼らの担当は後に外れてしまうのですが、その時に培ったものが後に担当するHIGH and MIGHTY COLORに繋がって行ったわけです。

アーティスト発掘&育成の極意

ーー山内さんは新人アーティストを発掘する際、どういった部分に注目するのでしょうか?

もう何年も新人発掘に携わっていないし毎回パターンが違うので一概には言えませんが…。
色々と時代と共に変わりゆく部分もありますが、最終的に「人前で演奏して歌を歌う」という、音楽が本来そうあるべき部分は変わらないと思うので、やっぱりライブを見に行くことは絶対マストですね。
それと、テクノロジーが進化したおかげで下手でも上手く聴かせることができる時代なので、音源ではもっと根本の部分、メロディーや歌詞、曲の展開などのセンスをすごくみます。

ーーライブではどういった部分に注目するのでしょうか?

オーラや、体幹の強さでしょうか。あとは声質です。

ーー体幹というのは初めて聞きました。

体幹がしっかりしてる人っていうのはやっぱり色々なものがブレないので、歌を歌うときもすごくしっかりしています。立ち姿が良かったり、動いてもグダグダにならないというかちゃんとした動きをするので、基本中の基本はそこじゃないかなと思っています。
これはアーティストに限らず人間としても大切な部分ではないでしょうか。

ーーなるほど、確かに言われてみればそうかもしれません。

ただ、デビュー段階で全てが揃っている人はとても稀です。なので、そういう人を自分がプロデュースするときには、足りていない要素を付け加えたり、直していきます。開いていない花のつぼみをどうやって最も綺麗に開かせることができるか、というイメージに近いですかね。
ただ、元々無いものを付け加えようとしても後々絶対もたないし反発しか生まないので、そこは注意を払っています。結果的にアーティスト本人が能動的に花開いていけるよう、気づかれないように上手くそっちの方向に持って行くのがミソです。
昔は真正面からやろうとしてアーティスト本人と大衝突して、「だったらお前がやれよ!」って言われてしまったこともありました。

ーー上手く導く、ということでしょうか?

導こうと思っても大概素直に聞いてくれないので(笑)、自分自身の選択で進んでいるように感じてもらうというか。ものの言い方の問題ですかね。

アニソンの今昔

ーーその後アニメ関連の音楽へと進んでいく山内さんですが、これにはどういった経緯があるのでしょうか?

1990年代の終盤に、ソニー・ミュージックが音楽とアニメをタイアップさせて相乗効果を作り出す流れが本格化して。その後2000年代に入って機動戦士ガンダムSEED、NARUTO、銀魂、BLEACH、D.Gray-manなどといった作品とのタイアップ楽曲が次々大ヒットしていったんですね。僕は元々それこそ子供の頃からアニメもアニソンも好きで、特にガンダムはファーストの頃から大好きだったんです。
それで「ガンダムの仕事が出来るなら絶対やりたい!」と思って、必死にありとあらゆる手段を尽くしました。その結果担当していたHIGH and MIGHTY COLORのデビュー曲が機動戦士ガンダムSEED DESTINYのオープニングテーマに決まり、そこから本格的にアニメ音楽との関わりが深くなっていきました。
J-POPという流行り廃りの変動がすごく激しいジャンルにちょっと疲れたっていうのもありましたし、海外の需要も含めて、改めてアニメの音楽に大きな可能性を感じたんです。

そうしてアニプレックスに移った後はLiSAや花澤香菜といったアニメに縁の深いアーティストを担当しつつ、キャラクターソングや劇伴なども手がけるようになり、気付いたらアニメの音楽プロデューサーというポジションになっていました。

ーー音楽業界に入ってから今に至るまで、山内さんから見て大きく変わってきている部分はありますか?

色々ありますが、この世界自体がどんどん狭くなってきているという感覚はありますね。関わる人の数という意味も含めて。

アイドルやアニソンは健闘している方だと思いますが、やはりパッケージの売り上げは減って来ていて、サブスクリプションの音楽サービスもまだパッケージに取って代わるまでの伸びは見せていないし。
昔の音楽産業は今の3倍近い体力があったので、そこに関わる人もたくさんいたのだと思います。正直何をしているのかよくわからないオジサンとかもいたような(笑)。でも今は本当に「音楽を作って・売っていける人」が生き残って、牽引していく時代になりつつあるな、と実感します。
そうやってある種の淘汰が起きた結果、一気に音楽制作者のコミュニティーが狭くなったんじゃないかと思います。仕事をする上で「誰かに会いたいな」と思ったら、「知り合いの知り合い」くらいで必ず繋がっているというか。
今はSNSをはじめネットがあるので、その人と仕事がしたいと思ったら直接連絡を取ることもできますからね。

ーーアニソンの世界でいうと、これからどう変移していくとお考えですか?

まず、パッケージ自体は一定数残ると思います。J-POPや洋楽などのジャンルと比べれば圧倒的にその率は高いだろうなと。コレクターアイテムとして、愛情の表れ、お布施…色々な意味合いはあると思いますが、「簡単に劣化しない・消滅しない・間違って消すこともない」のがパッケージの良い所ですし、ジャケットやブックレットで付加価値も高められるので、パッケージを作っていくということ自体は今後も変わりないと思います。

あとはやはりアニメ音楽は映像とセットなので、そもそもが二次使用的な意味合いが大きいと思うんです。そういうこともあって、サブスクリプションの音楽サービスで他ジャンルの聴かれ方と同じようにアニメ音楽を聴いている人は今のところそんなに多くないと思います。
もちろん音楽そのものは常にどのジャンルにも負けないクオリティを目指して制作していますし、アニメ音楽という意味では、曲を聴くと即映像が頭に浮かぶ、というくらいのレベルのものを作っている自負はあります。
ただ、アニメ音楽との新たな出会いだけを求めてサブスクリプションのアニメチャンネルをずっとチェックしているような人は今のところまだ少ない印象です。

でも今後は例えば自分と感性の合うキュレーターみたいな人がたくさん出てくることによって、今までとはまた違った方法でアニメ音楽が広がっていく可能性は大いにあると思っています。なので、サブスクリプションと相性が悪いわけではないと思います。
J-POPや歌謡曲をチェックするような感覚で、アニメ音楽の新譜や名曲を日常的にチェックする人がこの先出てくるかもしれないですね。

ーー以前から気になっていたのですが、アニソンの海外展開についてはどのような現状なのでしょうか?

ある程度の需要はあるので、呼ばれたら行くという形が大半だと思います。
確かに海外のアニソンフェスではお客さんが普通に3〜4000人ほど集まり、もちろん盛り上がるんですが、じゃあそこに足繁く通って黒字を毎回出せるようになるかっていうと、まだ難しいのが正直なところです。

僕の経験だと、例えばLiSAの場合、親日の国で比較的ベンチマークも多くあると思われる台湾でも、3,500人規模のホールのワンマンライブをソールドアウトするまでに準備期間含め4年ほどの歳月がかかりました。

ーー4年ですか…。具体的にはどういった問題があるのでしょうか?

台湾に限らずそれぞれの国ごとにたくさんの障壁があります。
例えば政治情勢や宗教の違いなどもあって、一つのことが全く違う意味で捉えられてしまったりします。オリジナリティをキープしつつローカライズする、という2つの重要な要素のバランスをどう取るか、が難しい所です。
海外に展開していくということは、赤字を吐き出し続けながらも、日本で本気で売り込むエネルギーと同等以上のものを各国につぎ込む必要があり、理不尽なことがたくさんあってもめげずにやり続ける、先駆者としての覚悟がなければいけないということです。

ただ、国内マーケットだけでは成長の限界があるのも事実なので、本当は腹を括ってちゃんと挑戦すべきだとは常々思っています。

山内さんのこれから

ーー山内さんが今のお仕事で1番やりがいを感じる瞬間はどこにありますか?

やっぱり、いい音楽を作ってそれがちゃんと世の中でウケた時、それに尽きるしそれを常々目指してやっています。あと、「よくある定番のホニャララ」みたいな普通なものは作ろうと思っていません。そういうのも作れなきゃいけないし作ることもあるんですが、許されるのであれば変なことをやろうと思っていて、それがバズった時はやっぱり嬉しいです。
ほとんど実験みたいなことをやって、「これは癖になる!」みたいな反応を見た時に喜びを感じますね。

ーーでは最後に、山内さんのこれからの目標と、本記事を読んでいる方へ向けメッセージをお願いします。

スタッフワークもできるクリエイターを 少しずつ増やしていきたいと思っています。
例えばコンペって、勝ち抜くには才能だけじゃない部分が必要だったりするのですが、コンペを主催する側だからこそ伝えられることもたくさんあるので、才能ある人間をピックアップしながら育てていきたいです。
今は作詞作曲編曲、はたまたミックスまで一人で全て出来て当たり前な時代です。そんな時代だからこそ、自分自身を冷静に分析しつつ柔軟な発想が出来る人が伸び行くと思っています。
ネットワーク環境が整備されて距離的な不利も無くなったし、そういった意味では東京に住んでいようが地方に住んでいようが関係ないですね。
自分の中で色々と悩んで踠きながらでも発信することを続けていれば、それをキャッチしてくれる人が現れるはずです。先ほどお話したように、コミュニティーは狭くなっているので、どこで活動していたとしても「コイツが凄いらしい」といった情報は回りますからね。

あとはそうやって繋がった縁をさらに繋げていくこと。これを続けていけば何かしらのチャンスは絶対巡ってくると思います。きっとそれが出来ている人こそが、今この世界で生き残っているのではないでしょうか。

ーーありがとうございました。

取材・執筆:momo (田之上護/Tanoue Mamoru)

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profile:1995年生まれ。Digital Performer・Ableton liveユーザー。音楽学校を卒業後作曲家として福岡から上京。
2017年8月ツキクラ「STARDUST」に作・編曲で参加し作家デビュー。
「心に刺さる歌」をモットーに、作詞作曲・編曲からレコーディングまで全てをこなすマルチプレーヤー。
アートユニット「Shiro」の作編曲担当としても活動中。

ホームページ:Music Designer momo
TwitterID :@momo_tanoue