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「音楽業界への道標」 第25回 ZROさんインタビュー

株式会社JENERGY代表 ZROさんへインタビュー

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音楽業界への道標、第25回目となる今回はエイジアエンジニアのMCであり、現在は株式会社JENERGYの代表であるZRO(ジロー)さんにお話を伺って参りました。
メジャーでの活動から現在に至るまで、一貫したスタイルで音楽と向き合うZROさん。今回も参考になるお話をたくさん聞くことができました。

社歌レーベル立ち上げに至るまで

ーー今回は取材させていただきありがとうございます。ではまず、ZROさんの現在の活動を教えてください。

株式会社JENERGYの代表として、社歌の制作をはじめカラオケ配信やMV作成なども行なっています。

ーー社歌の制作会社を立ち上げたのには、どういったきっかけがあったのでしょうか?

エイジアエンジニアの活動を休止してからも「音楽で人を元気にしたい」っていう思いがずっとあって。自分の音楽を作り続けたいと思っていたんですが、解散後の進路としてCM音楽制作会社とかだとどうしてもクライアント向けの仕事になって、個性は出しにくいかなと思ったんです。
そこで「音楽が無い場所ならば道が切り開けるのではないか?」と思いました。

エイジアエンジニアの活動休止後は展示会ブース施工会社に入社し、サラリーマンとして企業の展示会などを沢山見てきたのですが、中小企業の場合新製品発表はしているものの、音楽は全然流れていないんです。しっかり場所を作っているのに音楽が流れていないのがすごく勿体無く見えたのと同時に、「ここに音楽を差し込むのは面白いかもしれない」と思ったのが、今の事業を立ち上げるきっかけになりました。

ーー既存の音楽事業ではなく、新たなニーズを生み出したんですね。

とはいえ蓋を開けてみたら、小さな会社などは音楽を作る余裕がないケースが多くて。無料で作ってあげることも考えたんですが、それも安売りしているようでちょっとおかしいなと思ったんです。
それでやらしいですが値引きされない音楽って何だろう、会社にとって価値のある音楽は何だろう?って考えたときに、企業のアイデンティティを歌った曲であれば価値が生まれると思い、社歌ビジネスを始めました。
ちゃんとしたプロのアーティストや作曲家が作ることで付加価値をつけることも出来ますし、何より喜んでもらえると思ったんです。

ーーJENERGYでは多くの作曲家が活躍していますが、「企業に向けた歌を作る」ということに抵抗を感じる作曲家もいたのではないでしょうか?

確かにロックやHIP HOPみたいに「音楽=反体制」みたいなイメージが強い方も多いと思います。
でもよくよく考えてみたら、J-POPだってロックだってHIP HOPだって、結局聴くのは会社員や働く人がほぼなんですよ。社歌を作るっていうのは世の中に媚びたことをしているわけでは決してなくて、聴いてもらう相手が働く人に絞られているだけなんです。
みんな働いたお金で音楽を買っているわけで、そういう人たちへ向けて曲を作ることになんの違和感もありませんし、ドロップアウトでもセルアウトでもない、むしろ支えてくれている人へ恩返しだと思っています。

だからこそ僕たちもアルバイト感覚で作るようなものではなく、聴いている人たちが頑張って働くことが出来る応援歌を作るというポリシーでやっています。
それはエイジアエンジニアで活動していた頃からずっと変わっていないですね。

株式会社スリービー社歌MV

ZROさんのこれまで

ーーZROさんはいつ頃から音楽を始めたのでしょうか?

元々ラップには全然興味が無くて、高校生くらいの頃はオアシスなどのUKロックやRCサクセション、はっぴいえんどなどを好んで聴いていました。日本のラップは中高生が黒人のかっこして六本木で遊んでるみたいな、チャラチャラしているようなイメージがあってあまり好きではなかったこともありますし、僕は高校が山の全寮制だったので「街のヒトは流行りを追いかけているけど、俺はメインストリームを外れた音楽を聴いているんだぜ!」っていう捻くれた気持ちみたいなものもあったんだと思います。(笑)

でも卒業して予備校に入りそこで仲良くなった友達(のちにメンバーになるSHUHEI)がラップをしていて。大きなオーディションを勝ち抜き横浜スタジアムで歌ったことがあるような人で、「今はお前が好きな音楽は流行っていない、女にモテたいならラップをやれ!」って言われて。試しにラップを書いてみたら「才能あるじゃん」ってすごく褒められたんです。そこからラップを聴くようになりました。

ーーその友人との出会いをきっかけにZROさんの音楽性が変わったんですね。

それでRHYMESTERのエゴトピアっていうアルバムを借りて、何回も聴いているうちに「もしかしたらこれは自分が目指している、ちょっと捻くれたアンダーグラウンドの精神そのものなのかもしれない」っていうことに気づいて。そこから急に見えるものが新鮮になったことを覚えています。
ヒップホップといえばチャラい、ワルそうな奴らみたいなイメージだったんですけど、自分の好きだったロックやフォークをサンプリングしたり幅広い音楽性があるということを知りました。
僕は中学生くらいの頃から毎日自分の感じたことを日記に綴っていたんですが、それと自分の気持ちをリリックに込めるライムには重なる部分も多くあってどんどん好きになっていきましたね。

ーーそこからラップの世界に入り込んでいったんですね。

大学生になってから、はよく友達の家に集まってみんなでラップを書いたりしていました。それをDiana Kingやジャミロクワイのカラオケに乗せて歌ったりもしていましたね。

そのうち知り合いの女の子にレコーディングしてもらえることになり、録った音源をテープにダビングして周りの友達に聴いてもらったりしていました。
そしたら中学生の頃の同級生2人が「一緒にやりたい!」ってついてきて、4人で結成したのがエイジアエンジニアです。

ーー結成当時はどんな活動をしていたのでしょうか?

最初のうちは社会批判とかを歌っていたんですが、そこまで考えてない大学生がどこか無理をしている感があって。音楽性が変わるターニングポイントとなったのは、当時メンバーだった中学の後輩が重たい病気になってしまい入院した時です。

お見舞いに行くときに「いつもラップをしているからラップでお見舞いをしよう」ということになり、みんなでお見舞いソングを作ったんです。めちゃめちゃ明るくてバカみたいな曲で、もしかしたら怒られるんじゃないかってくらいだったんですけど、そいつはすごく喜んで病室で涙を流したんですよ。僕らもそれが意外で。
歌詞を読みながら泣いている姿を見て、応援歌っていうものに可能性を感じました。

ーーそこから活動スタイルが変わっていったんですね。

そうですね。
それからは楽しいことを提供したり、人を元気にするっていうのをテーマに活動するようになりました。今までのラップスタイルから一歩進むことで他のグループと差別化することもできました。
時代的にはケツメイシ、RIPSLYME、KICK THE CAN CREWがまず大流行し、少し後でHOME MADE家族や、BENNIE K、 SEAMO、mihimaru GT、FUNKY MONKEY BABYSなんかもメジャーデビューしてヒットし、時代もそういう流れになって運も良かったんだと思います。
その後2005年にrhythm zoneからメジャーデビューすることになりました。

エイジア エンジニア / Orion

ーーメジャーでの活動はどのようなものだったのでしょうか?

最初はワンピースのエンディングテーマやスーパーヒーローでデビューし、等身大の応援歌を歌おうってやってたのが、着うたや、恋愛ラップがとにかく流行っている時代で、僕らもそういう楽曲が求められて作っていたんですけど、どこか違和感を感じていたんです。
でも売れないと音楽を続けられないし…っていう葛藤があって、すごく悩んでいた時期が正直ありました。

ーーそこからどうやって脱却したのでしょうか?

ある日、医者である自分の父から「患者の子供を元気づけてあげてほしい」って頼まれたことがあって。その子は小学生の頃突然目が見えなくなってしまい、不登校になっていたんです。
ちょうどツアーをしていた時だったので、ホテルでメンバーみんなで声を吹き込んだものと、未発表音源だった「絶対負けない!」っていう曲を一緒に送ったんです。
そしたらその子がそれを聴いて学校に行くようになったらしく、父から「お前は音楽で、医者でも治せない心を治すことが出来るんだ」っていう風に言われて。そこで色んなものが吹っ切れました。
メジャーで活動するようになってからはオリコンチャートばかりに意識が向いていたんですけど、聴く人からすれば「◯位だから聴こう」じゃなくて「いい曲だから聴こう」なんだなと。
それまで違和感を感じていた恋愛ソングも、これを大切に思ってくれる人がいるんだと思うと、自分たちのやっていることを肯定することが出来たんです。

今は活動休止してしまったので、ヒット曲を作ってアーティストとして前に出るって…ということはなくなりましたが、音楽で人を元気にするっていう気持ちが今も自分を突き動かしています。

エイジア エンジニア / 絶対負けない!

続けることの大切さ

ーーやっていることは違えど、今も昔も芯がブレないというのはとても凄いです。

気持ちのないものを作るのってカッコ悪いと思っていて。僕の場合はすごく才能があるわけでは無いので、せめて自分の音に忠実でいないと面白いものは作れないんじゃないかなっていうのはずっと思っています。

ーー「やりたいこと」と「できること」のバランスに苦しむ方も多いと思います。

音楽ってどうしても数字で判断されがちなものですからね。色んなものをつぎはぎしてヒットしても、すぐに忘れ去られてしまうことだってよくあります。
だからこそ「一生覚えていられる曲」を作ることが大切だと思っていて。
もちろん生活もありますし、好きなことだけで生きていくのはとても難しいです。
でもすごく頑張って作った曲をオリコンチャートだけで判断してしまうのは勿体無いと思うんですよね。
音楽って自由なモノなので、「売れなくちゃいけない」っていうところから一旦外れて考えてみるのも大切なのかなと思っています。

もちろんそれで一人よがりみたいになっても意味が無いので、僕の場合は色んな尊敬する作家さんたちと一緒に作っていくことで客観性や、クオリティーを保ちつつ、自分のやりたいことをやっている状態です。

ーーZROさんは、好きなことで生きていくために一番大切なことは何だと思いますか?

諦めずに続けることではないでしょうか。
エイジアエンジニアはデビューまで7年ぐらいかかっていて、僕はその間に何度も「辞めようかな」と思ったことがありました。
大学を卒業してからはめちゃ厳しい不動産の営業に就職し働きながらの活動だったのですが、毎週月曜日〜土曜日は朝から晩まで働いて日曜日にはライブ…みたいな毎日だったんです。蕁麻疹が出るくらい凄いストレスで、耐えられなくなってある日メンバーに辞めるって伝えたことがあるんですよ。そしたらメンバーから「もし辞めたらお前を一生見下す、友達も辞める」って言われて。
今後社会に出てもここまでの繋がりや、必要とし、引っ張ってくれる仲間は現れないだろうなって思ったんです。そこで思いとどまり、その半年後にデビューすることができました。

ーー素敵な仲間がいたからこそ続けられたんですね。

もし結果が出なくとも、やってきた事実は残るわけじゃないですか。やりたいことをやるには、やり続けるしかないと思います。

あとはどうやって面白い環境を自分で作れるかも大事ですね。僕の場合は仲間がいたからこそ続けられた部分も大きいです。
今もたくさんの仲間と一緒に音楽を作っているからこそ、やりたいことを楽しく続けられているんだと思います。

ーーありがとうございます。では最後に、ZROさんの今後の目標を教えてください。

今はJENERGYで社歌を作っていますが、もっともっとこれを一般的なものにしていきたいですね。CM制作に1億円かけるよりも、自社の歌を作ってプロモーションするっていう選択肢がもっと広がるように活動していけたらと思います。
現時点では50社くらいの社歌を制作しているので、まずは100曲、ゆくゆくは日本で一番社歌を作った人でお社歌(オシャカ)と呼ばれる様になりたいです。(笑)

ーーありがとうございました。

クリエイター募集

JENERGY では一緒に社歌を作りたいと言う作曲家、シンガーをジャンルを問わず募集しています。詳しくはinfo@jenergy.co.jpまで。
社歌無料サンプラーも配布中です!

取材・執筆:momo (田之上護/Tanoue Mamoru)

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profile:1995年生まれ。Digital Performer・Ableton liveユーザー。音楽学校を卒業後作曲家として福岡から上京。
2017年8月ツキクラ「STARDUST」に作・編曲で参加し作家デビュー。
「心に刺さる歌」をモットーに、作詞作曲・編曲からレコーディングまで全てをこなすマルチプレーヤー。
アートユニット「Shiro」の作編曲担当としても活動中。

ホームページ:Music Designer momo
TwitterID :@momo_tanoue