「音楽業界への道標」第12回 和田たけあきさんインタビュー
音楽業界への道標、第12回目となる今回はボカロP・ギタリストとして活躍中の和田たけあき(くらげP)さんにお話を伺ってきました。中毒性の高い楽曲で数々の名曲を生み出し続ける和田さんのこれまでの歩み、制作秘話などなど今回も盛り沢山の内容となっております。ぜひご一読ください!
和田たけあき(くらげP)|profile
初音ミクを使用したVocaloid楽曲「くらげ」を2010年4月にニコニコ動画に投稿して以降、「くらげP」という名義でインターネットでオリジナル曲を歩みを止めることなく新曲を発表。
活動6年目を迎える2016年2月に公開した「チュルリラ・チュルリラ・ダッダッダ!」が大ヒット。同曲のYouTubeでの再生数は、2018年5月時点で800万回を超える。この曲の他ニコニコ動画ミリオン再生を4曲叩きだしている。新時代ボカロ作家トップランナーの一人。
またギタリストとして「古川本舗」や「こゑだ」など、さまざまなアーティストのライブやレコーディングに参加。
ーーではまず、和田さんの現在の活動からお伺いしてもよろしいでしょうか?
ボカロPでの活動がメインです。あとはギタリストとして、古川本舗さんなどのアーティストのサポートやスタジオミュージシャンとしての活動、アニメ「NEW GAME!」のエンディングテーマ「Now Loading!!!!」などの楽曲提供もしていますね。
ーーメインで活動されているボカロPでは、今年の3月にメジャー1stアルバム「わたしの未成年観測」をリリースされていますね。
はい。お話しをいただいた段階でマンガ付きのアルバムを発売したいという思いがあり、メジャーアルバムという形でリリースさせていただきました。
ーー和田さん自身はメジャーでのリリースに関してはどう思われていますか?
以前、例えばボカロが一番盛り上がっていた2012年くらいの頃なんかはメジャーを夢見ながら、演奏や動画も色んな方に依頼してとにかくクオリティーを上げようとしていたんですが、自分の作風的にも大人数でやる難しさみたいなのは感じていて。
今はなるべく人数を減らして、自身で色々とコントロールしながら活動できればいいなという思いが強いですね。
そういった理由もあって、現在はイラスト以外は動画制作なども含め全て自分でやっています。
楽曲・動画ができるまで
ーー和田さんの使用機材を教えてください。
Windows環境でDAWはCubase、ボーカロイドは楽曲によって声を使い分けています。ギターは宅録ですが、アンプを通して鳴らした音をサイレントキャビネットを使用しながらAUDIXのi5で録音しています。
ベースは生音で録ったフレーズにMassiveで作ったシンセベースの音を重ねることが多いですね。
ドラムはAddictive Drums2をメインに、キックとスネアだけSSD(Steven Slate Drums)を重ねています。
ーースタックしながら音を作っていくことが多いんですね。
生演奏のドラムもトリガーしながら音を作っていくことが多いので、その考え方の応用ですね。Addictive Drumsっぽい音も好きなんですが、個性を出すという意味でも色々と重ねながら音作りしていくことが多いです。
ーー作曲はどのように進めていくのでしょうか?
まず弾き語りしながら、DAW上にメロディーのみを打ち込んでいきます。
次にドラム等のリズム楽器をほぼ完成版に近いくらいの感じで打ち込んでいきます。
ーーこの時点ではコードはまだついていない状態ということでしょうか?
はい。この段階で「いける!」と思ったら今度はボーカロイドを打ち込んでいきます。これも完成形に近いくらいのクオリティまでもっていきます。
あとはギターやベースなどを入れて作り上げていくといった流れですね。
ーー歌詞や動画はどうされていますか?
歌詞は曲を作っていく段階で浮かんでいることが多いですね。動画も同様に、最初の段階からある程度構想があるので、シーンごとのイメージを絵描きさんに伝えながら作っていきます。
ーー動画制作では何のソフトを使用していますか?
AdobeのAfter Effectsです。
制作で意識していること
ーー和田さんの作品は独特の”毒”があるというか、楽曲は中毒性がすごいですし、動画もシンプルだからこそダイレクトに感情が伝わってきます。制作時、何か意識していることはありますか?
楽曲に関しては、自分の好きな曲よりも聴き手が楽しめる音楽を意識していますね。動画も余計なものを削ぎ落としてシンプルにしたいという思いが強いです。
ーー戦略的に制作しているんですね。
ボカロを続けていく中で自分の好きな音楽っていうのを全部出し切っちゃって、「じゃあ次どうしようかな」と考えたときに、そういえば聴き手を強く意識した作品を出したことが無かったなって思って。それで制作したのが「わたしのアール」と「チュルリラ・チュルリラ・ダッダッダ!」です。
ーー「チュルリラ・チュルリラ・ダッダッダ!」といえば、和田さんが自身初の100万回再生を突破した曲ですよね。
この作品はボカロPとしてもそうですし、いろんな意味で転機になった曲ですね。元々結月ゆかりが好きな方々に加え、若い世代にどうすれば聴いてもらえるのかをとても考えました。
ーー本楽曲は特に中毒性の高い楽曲ですよね。
ボカロブームの時はこういった楽曲が沢山あったんですが、この楽曲を発表した頃には流行っていなかったんです。それで「この席がちょうど空いてるな」と思って、あえてこういった作風で制作しました。
ーー「戦略的に作品を作る」ということに関して抵抗感を抱く方もいらっしゃいますが、和田さんはどのように考えていらっしゃいますか?
僕の場合は戦略的に作った方が、余計なものが削ぎ落とされて本当に自分が言いたいことを表現出来るようになりました。「こういう曲が好きだからこう作ろう」という積み重ねで制作するよりも、自己満足を取っ払って、引き算のように削っていきながら制作した方が自分のむき出しの部分が出てくるんだなっていうのは新たな発見でしたね。
ーー動画に関してはどのようなイメージで制作していますか?
今の時代、”曲だけ”のクオリティーや”動画だけ”のクオリティーだけじゃダメだと思っているので、ちゃんとお互いが補強し合える関係性を意識しています。
例えば歌詞に入れなかった部分を動画で表現したりとか、動画と音楽が別々のことをしていても全然いいんじゃないかなと。
バンドマンからボカロPへ
ーー和田さんは元々いつから音楽を始めたのでしょうか?
中学生の頃にアコギを買ってもらってからですね。でもFコードでつまづいてしまって、実は1年近く上手く弾けなかったんです。
そんな時「エレキなら弦のテンションが弱い」という話を聞き、エレキギターを購入しました。そこから本格的に弾くようになりましたね。
その後大人のバンドにも混ざりつつ、高校の頃同級生のスリーピースバンドにリードギターとして加入しました。
大学に上がった後そのバンドで地元の事務所に所属することになり、大学に通いつつバンド活動を続けました。
ーー当時はかなり精力的に活動されていたのでしょうか?
そうですね。全国ツアーを回ったりCDをリリースしたりと、当時はメジャーデビューを目指して活動していました。
そんな頃、スタジオで演奏を録音するためにZoomのH4というハンディーレコーダーを購入したのですが、そこに付属していたのがCubase LEで、「なんだろうこれ?」と思って触り始めたのがDTMを始めたきっかけです。
当時MTRとDAWの転換期で、MTRで録音した生ドラムの音をH4に2chずつ再録音してCubaseに取り込み、付属のプラグインでミックスして…なんてこともしていましたね。
ーーそれは転換期だからこその苦労ですね…。
ですね。その後バンドメンバーのうち二人が就職の道を選び、僕とボーカルの二人で地元から上京しました。
ーー不安や迷いはなかったのでしょうか?
僕は音楽しか出来ないですし、地元から飛び出したいという思いの方が強かったですね。音楽を続けるために上京しました。
ーー上京後、バンド以外にしていた音楽活動はありますか?
ギタリストの西川進さんが大好きで、ローディーを募集していることを知り応募して色々な現場で働かせてもらいました。
あとはギタリストとしてスタジオミュージシャンの仕事もしていましたね。
ーースタジオミュージシャンになったのはどういった経緯があったのでしょうか?
当時のバンドメンバーが見つけてきたコンテストに出場したんですが、そこで最終選考に残ったんですよ。その時に審査員の方に気に入ってもらったことがきっかけで甲斐名都(かいなつ)さんのバックバンドをすることになり、そこから徐々に仕事が増えていきました。西川さんの現場で学んだ経験も生かせましたね。
ーーそんなこともあるんですね。ボカロとの出会いはどういったものだったのでしょうか?
上京したての頃は本当にお金が無くて、CDも買う余裕がなかったんです。そうなると、新しい音楽に出会えるのはネットしかなくて。そこでボカロの音楽を知り、好きになりました。
その後ボーカロイドを購入したのですが、操作が難しくて一度挫折してしまったんですよ。
ーーそうだったんですね。
でもある日、西川さんの現場がたまたまsupercellの「君の知らない物語」のレコーディングだった時があって。その時ryoさんにも初めてお会いしたんですよ。
ーーすごい偶然ですね。
まったく別方向だった自分の中の”好き”が、繋がっちゃったんですよね。その直後に「ミクフェス’09」でsupercellの曲を弾く西川さんを観て、「これはもうやるしかないな」と。
仕舞っていたボーカロイドを引っ張り出して、バンド用に作っていた曲をボカロ曲としてアレンジして発表しました。それが初投稿の「くらげ」という曲で、「くらげP」の由来となった作品です。
好きなことを続けるためのコツ
ーー色んな出会いや偶然が重なって「くらげP」が誕生したんですね。
そうですね。その後は2.3か月に1曲のペースでリリースしていったのですが、なかなか再生数が伸びず苦労しました。
ーー初投稿の2010年から今に至るまでは、決して短い時間では無かったと思います。
ボカロが一番盛り上がってた頃もなかなか再生回数が伸びず、やっぱりもどかしい気持ちはありましたね。
ーーそれでも折れずに続けられた理由はなんだったのでしょうか?
ボカロ以外にも色々と活動していたからだと思います。例えボカロの活動がダメになっても音楽活動自体が無くなるわけではなかったので、そんなに固くならずやっていけたんです。
ーー武器を沢山持っていたから、ということでしょうか?
僕の場合は「ギターを弾ける」「曲を作れる」っていうスキルがあって。それを使って出来ることって意外と沢山ありますよね。「これが無くなったら全部ダメになる」っていう状況を回避することで、肩の力を抜いて活動できますし長く続けることが出来ると思うんですよ。
「自分発信」をする方へ向けて
ーー和田さんのように「自分発信」のスタイルで活動をするにあたり、大事なことは何だと思いますか?
まず、こういうのってクオリティーはあんまり関係ないと思うんですよ。そういうエゴみたいなのを取っ払った上で、活動スタイルやどういった作品を発表するのかを考えることは大事だと思います。
あとはやっぱり「続けること」ですね。
僕の周りでも、続けることを辞めなかった人は何かしらで成功しています。例えば作曲家になりたいと思ったとしても、ひたすらコンペに出し続けるだけっていう活動だと、もし何かのタイミングで折れてしまったら後が無くなってしまいますよね。
生き残っていくためには自分が出来る範囲で色んなことをして、続けていく。そうやって「どうすれば続けられるか」を考えて行動することが重要ではないでしょうか。
ーーでは最後に、和田さんのこれからの目標を教えてください。
ライブ活動はどんどん増やしていこうと思っています。
これからどんどん音楽は”売り物”じゃなくなっていき、作品というよりは「人間を愛してもらえる人」が生き残っていくんじゃないかなと思っていて。
もっともっと”中の人”を好きになってもらえるような活動をしていきたいですね。
ーーありがとうございました。
記事作成者
取材・執筆:momo (田之上護/Tanoue Mamoru)
1995年生まれ。Digital Performer・Ableton liveユーザー。音楽学校を卒業後作曲家として福岡から上京。
2017年8月ツキクラ「STARDUST」に作・編曲で参加し作家デビュー。
「心に刺さる歌」をモットーに、作詞作曲・編曲からレコーディングまで全てをこなすマルチプレーヤー。
アートユニット「Shiro」の作編曲担当としても活動中。
TwitterID : @momo_tanoue
Shiro : Youtubeチャンネル