「音楽業界への道標」第3回 藤本健さんインタビュー

Author: sleepfreaks

DTMステーションの藤本健さんへインタビュー

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音楽業界への道標、第3弾となる今回はDTMerや音楽クリエイターにはお馴染みのWebサイト「DTMステーション」を運営されているフリーライターの藤本健さんへインタビューを行ってきました。
音楽記事だけに留まらず様々な分野で活躍されている藤本さん。これまでの人生談やフリーランスにとって必要な心構えなど、学生・社会人の皆さんにも参考になる、とても濃厚なお話が聞けましたので是非最後までお付き合いください。

ーー藤本さんといえば個人的には謎多き方というイメージなのですが、現在はどのようなお仕事をされているんでしょうか?

藤本健(以下、藤本:)今現在のお話ですと、やはりブログの「DTMステーション」がメインではありますね。あとはその派生として「DTMステーションPlus!」というニコ生&Fresh!もやってます。
その他で言えば、AV Watch内で毎週更新している「Digital Audio Laboratory」の記事作成でしょうか。

ーーDTMステーションといえば音楽クリエイターなら誰でも知っているくらい有名なブログですが、藤本さん自身が音楽を仕事にし始めたのはいつ頃だったんでしょうか?

藤本:僕は現在52歳なのですが、高校生の頃、ちょうど「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」が流行っていた時代にシンセサイザーに興味を持ち始めたんです。ただ当時は高価なものでとても買えるようなものではなかったんですよ。それで高校1年生の時、自作でシンセサイザーを作り始めました。

ーー高校生で、ですか?

藤本:本や雑誌なんかの回路図を参考にしながら組み上げましたね。でもただ作るだけじゃなくて、当時の目標はマイコン(パソコンの前身)で音楽を鳴らすことだったんです。ただなかなか実現が難しく、ずっと試行錯誤する日々でした。
そして高校2年生の夏に、ファミコンサウンドを鳴らすことのできるICを使って回路を組み、コンピュータと繋いで鳴らすことに成功したんです。これは自分でも「すごいぞ」と思い、売り込むために色んな会社に営業の電話をかけました。そしたら営業を行った全社からOKが出たので、一番いいと思った「HAL研究所(株式会社ハル研究所)」に決め契約をしました。
当時のHAL研究所は従業員が10人以下の小さな会社だったんですが、新入社員だった「岩田さん」という方と2人で製品をブラッシュアップし年明けには発売、という流れになりました。

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(1983年の1月に発売された「GSX-8800」のボードと、プログラムが入っていたカセットテープ/写真:藤本健)

詳しくは「週刊アスキーの記事」をご参照ください。

ーーではその時期から音楽で稼ぎ始めていたんですね。

藤本:そうですね、開発費や売れた分の収入で数十万円くらいにはなりました。その後も岩田さんとタッグを組み、アルバイトのような形で様々な製品開発を行いましたね。

ーーそのままエンジニアになろうとは思わなかったのでしょうか?

藤本:一緒に仕事をしていた岩田さんが凄すぎて、自分は無理だと思ったんです。ちなみにその岩田さんというのが、2年前に亡くなった任天堂の前社長、岩田聡さんです。

ーーええええ!?あの岩田さんだったんですね…。

藤本:大学の工学部に入ってからもしばらく一緒に製品開発をしていました。もちろん経営者としての才能もある方ですが、やはりエンジニアとしての才能はずば抜けていたんです。そんな方を高校生のうちから間近で見ていましたし、それが一般的なエンジニアだと思っていたので「あっちの道に行ってはダメだ…」と思ってしまったんですよ。

ーーそうだったんですね。ライターとしての仕事を始めたのはいつからだったんでしょうか?

藤本:大学一年生の頃、「手っ取り早く稼げる仕事がある」という知り合いの紹介でコンピュータ雑誌の記事を執筆するようになったのが始まりです。その後すぐに連載も始めるようになり、HAL研究所と掛け持ちのような形で執筆活動を行なっていました。大学卒業後は色々と悩んだ末リクルートに就職し、そこでは雑誌の編集を担当していましたね。内定時にリクルート事件があったこともあり色々と大変な思いもしました。

ーーでは就職してからはしばらくライターの仕事や音楽の仕事はお休みされていたんでしょうか?

藤本:いえ、就職した後も掛け持ちでライターの仕事をしていましたし、音楽も趣味として続けていました。当時は副業に理解がない時代で、上司を説得するのに時間がかかったりはしましたが、リクルートだったので、うまくできたのかもしれません。ただリクルートの方の仕事もきっちりこなしていましたし、社員規則を破っていたわけでもなかったのでそのまま続けました。
その後「コンピュータ・ミュージック・マガジン(発行元:電波新聞社)」や「サウンド&レコーディング・マガジン(発行元:リットーミュージック)」の執筆に携わるようになり、音楽関係の執筆も徐々に増えていきましたね。就職こそしていましたが、自分の中ではフリーランスのような意識でしたね。一番大きな”クライアント”がリクルートで、他にもたくさんクライアントがいるみたいな。多分他人の3倍くらい働いていたと思います。

ーーリクルートはいつ退職されたんでしょうか?

藤本:2004年です。早期定年退職という制度があって、38歳で退職しました。結果的には最後まで勤め上げた形ですね。でもその頃には個人として他にたくさん仕事を持っていたので特に困りませんでした。リクルートでの収入比率は40〜50%くらいでしたから。その後自身の会社である「有限会社フラクタル・デザイン」を設立しました。

ーー現在は「DTMステーション」をはじめネットでの執筆活動を中心に活動されていますが、そのきっかけはなんだったんでしょうか?

藤本:まだリクルートを退職する前の2001年2月に、「All About(オール・アバウト)」という様々な分野の専門記事を扱うサイトでDTM関連の執筆を始めたのがきっかけですね。当時は「ドットコムバブル」の時代で、ちょうどインターネット業界が大きく発展していく時期でした。その後、ネットでの活動範囲を広げようと考えていたタイミングで、リクルート時代の部下だった田端君からライブドアでの記事作成の誘いがあり、今度はそちらで執筆活動をするようになりました。それが現在のDTMステーションの始まりです。ちなみにその田端君というのが現在のLINE株式会社の上級執行役員の田端信太郎さんですね。立ち上げ時の担当者が松浦シゲキさんという方だったのですが、彼はその後ハフィントンポストの編集長を経て、現Smart News編集長ですね。

ーー先ほどから大物の登場ばかりで驚いています。(笑)

藤本:その後ライブドア事件があったこともあり、LINEに買収されたことで、2011年に記事作成による月々の支払いが終了してしまったんです。DTMステーションを別の会社に売り込むことも考えたんですが、雑誌業界の売上も傾きつつあったので、最終的には個人として運営していくことに決めました。そこでどうやって収入を得るか検討した結果、「広告収入」というビジネスモデルにシフトしたんです。現在はバナー広告等で収益をあげている状態ですね。

ーーなるほど。かなりフレキシブルに活動されていらっしゃる藤本さんですが、体調を崩されたりしたことはなかったのでしょうか?

藤本:2011年1月に、色々仕事を抱えていたことによる疲れや風邪をひいていたこともあって貧血症状で倒れました。駅のホームにいたんですが、その時誤って線路に転落してしまって頭蓋骨骨折の大けがをしてしまったことがあります。かなりの重傷で、手術や入院など大変でした。それからは少し考えを変えて、「やりたい」と思う仕事以外は全て断るようにしました。ITやコンサル系の仕事を全て辞め、音楽系の仕事だけにシフトしましたね。現在もそうやって生計を立てています。

ーーそんなことがあったんですね。音楽関係の仕事だけに限らず、ブロガーやYouTuberなど「広告収入」をメインにするというのは最近のトレンドですよね。

藤本:アフィリエイトだけではなく様々な要素で収益化に繋げる「やり方」という意味では、やはりリクルート時代に培ったものが大きいと思います。記事のタイトル付けなども、リクルート時代に雑誌の表紙や電車の中吊り広告などで気になるものはチェックしたり研究していました。今でも役立っているものも多いですし、そういった意味では就職という選択は大きな意味がありましたね。

ーーフリーランスを目指す方や、音楽業界を目指す若者にとって”就職する”という選択はなかなか悩みどころだと思います。そのあたりはどう考えていらっしゃいますか?

藤本:ミュージシャンも含め、フリーランスは誰もがやる仕事ではないですし、誰もが出来る仕事ではないと思うんです。国は副業を推奨していますが、やはりフリーは不安定ですしリスクもかなり大きいですから。必ずしも「誰にでも当てはまる働き方」ではないですよね。

ーーフリーで生きていく上で、藤本さんが考える「必要なスキル」はどういったものなんでしょうか?

藤本:ミクロ、マクロそれぞれの「お金の動かし方」は知っていた方がいいと思います。それが出来ないと生きていけませんからね。あとはリスクを分散させることも重要です。例えば一つの収入に頼りっきりになると、そこがダメになった時に全くお金が入ってこなくなってしまいますよね。でも収入を分散させておけば、一つダメになっても他の仕事でカバーできます。そういった意味ではサラリーマンほど条件の良い仕事はありませんよね。

ーー就職しながらフリーでも活動をするという選択肢も大いにアリというわけですね。

藤本:結局やるかやらないかだけなんですよ。就職したって、仕事が終われば次の日の朝まで時間があるわけじゃないですか。そこを飲み会に使う人と、自分の時間に当てる人の違いですよね。成功してる人は間違いなくそれだけ努力してますから。

ーーなるほど。それでは最後に、フリーで生きていくための心得を教えてください。

藤本:努力はもちろん必要ですし、何かあった時のためリスクを分散させておくことも重要です。色々失敗することも多いですしね。でもやっぱり楽しいと感じることをするのが大事です。そうじゃないと続きませんからね。

ーーありがとうございました。

いかがでしたか?フリーで生きていくことを目標にしている方にとってはとても興味深い内容だったと思います。仕事に対し真摯に向き合う姿勢や、成功の陰に隠された努力が垣間見えるインタビューでした。
Sleepfreaksとしても、DTMステーションとともに音楽業界を盛り上げていければと思います。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。ぜひ次回もご期待ください!

記事作成者

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取材・執筆:momo (田之上護/Tanoue Mamoru)

1995年生まれ。Digital Performerユーザー。音楽学校を卒業後作曲家として福岡から上京。
2017年8月ツキクラ「STARDUST」に作・編曲で参加し作家デビュー。
「心に刺さる歌」をモットーに、作詞作曲・編曲からレコーディングまで全てをこなすマルチプレーヤー。
アートユニット「Shiro」の作編曲担当としても活動中。

TwitterID :@momo_tanoue

「Shiro」 Website : https://www.shiro.space/
「Shiro」 TwitterID :@shiro_unit