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「音楽業界への道標」第28回 松下マサナオさんインタビュー

Author: sleepfreaks

プロドラマー 松下マサナオさんへインタビュー

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音楽業界への道標、第28回目となる今回は、Yasei Collectiveを始め様々なシーンで活躍するドラマーの松下マサナオさんにインタビューを行いました。
これまでの道のりや、プロドラマーとして生きていくことの難しさなど今回も色々と深い部分までお話を伺って参りました。ドラマーの方もそうでない方も必読です。

ーー今回は取材させていただきありがとうございます。まず、現在のマサナオさんの活動を教えてください。

自分がリーダーをしているYasei Collective、あとは10年くらい在籍しているGENTLE FOREST JAZZ BANDや、ZA FEEDOで活動しています。
あとはセッション的イベントで、ベーシストのひなっちさん(日向 秀和)とHH&MMっていうユニットで活動したりもしています。

その他セッションやサポートのお仕事、レコーディングなども行なっています。

ーー様々な活動をされていらっしゃいますが、基本的にはジャズが中心なのでしょうか?

いえ、そんなことはなくて、ルーツのひとつっていう感じですね。
ジャズドラマーというわけでもないので、僕の中ではどのジャンルもそれぞれ同じくらいの比率でやっています。
ただ自分がインプットしたい素材として、ジャズのバンドやドラマーをチェックすることは多いです。

ーーマサナオさんが音楽を聴くときはどういった意識で聴くのでしょうか?

僕は「その音楽の中でドラムがどういった役割を果たしているか」という部分に注目します。もちろんドラムサウンドにも注目するんですけど、凄いドラムが上手いバンドってテクニック重視になりがちなんですよ。
僕もそこはすごく気をつけている部分で、楽器が上手くなりたいっていう思いはあるけど、技術を発表する場になってしまわないよう気をつけています。

その音楽の中にフィットする形でテクニックを使ったり、逆に「こういう音楽がやりたいからこういうテクニックが必要」っていう風に考えていますね。

ーー”全体の中のドラムとして”というイメージなんですね。

その中で、ちゃんとドラムが入る意味や自分特有のクセみたいなものを出していくという意識でやっています。どんな曲をやるにしても絶対ドラムがカッコよくないと嫌だから、そういうエゴイスティックな部分と本当に綱渡りではありますね。
どっちかに傾いちゃうと失敗することもあるし、逆にものすごく振り切れていると成功するケースもあります。
例えば「楽曲の一部分だけ、音楽的な部分は一切考えないでどれだけドラムを打ち込めるか」とか「ここはとにかくギターのカッティングを大事にしたいからドラムはひらすら刻もう」とか。曲の中にそういう芯があることで、グッと締まる瞬間を作り出せたりするんです。

ーーYasei Collectiveではどういった風に曲を作っていくのでしょうか?

斎藤拓郎[Gt,Vocoder,Synth]が作り込んだデモを持ってきて、それをコピーすることが多いです。最近は逆に、みんなで作ったパターンを各々が持ち帰って練り直すっていうパターンもあります。
とにかく「普通こうだよね」っていうのは出来るだけやらないという意識でやってます。

ーーYasei Collectiveで特に気に入っている曲はありますか?

こないだニューヨークでレコーディングしてリリースしたアルバムで「Trad」っていう曲があるんですが、それはすごい好きですね。
あとは以前のアルバムで「radiotooth」っていう曲があって、それもすごく好きです。

「Trad」楽曲購入はコチラ

Yasei Collective 「radiotooth」

ーーマサナオさんは、いつ頃からプロドラマーとして音楽だけで生活していらっしゃるのでしょうか?

30歳を過ぎた頃くらいですかね。それまでは結構普通に週2とかでバイトしてましたよ。
定期的にドラムマガジンで記事を書くようになったくらいの頃から徐々にドラムの仕事も増えていきました。

ーーやはりドラマーとして生きていくのはかなり大変なのでしょうか?

大変だと思いますね。今はプロとアマチュアの境界線も滅茶苦茶あやふやになってて、90年代くらいの頃のように仕事がポンポンある時代でもありません。しかもそれを当時より多いミュージシャンで取り合っている訳だから、席は結構埋まってしまっている印象です。

ーー他のプレイヤーやクリエイターにも同様の事が言えそうです。

技術的な要素もありますが、基本的には人間関係でこの業界は成り立っていますからね。そこが破綻しない限り同じ人を呼び続けるので、次の席がなかなか来ないんです。だからその中に入っていくのは相当大変だと思います。
僕も「マサナオじゃなきゃダメなんだ」って言ってもらえる現場には、バンドでもバンドじゃなくてもなるべく優先してスケジュールを空けるようにしています。なかなか難しい部分ではありますけどね。

ーーこれからドラマーを目指すという人は、どういった活動をしていけばいいと思いますか?

僕らの頃と違い、今はYouTubeやTwitter、Instagramなんかもあって、どんどんミュージシャンが神格化されなくなってきている時代です。
だから寧ろそれに乗っかるくらいの勢いで、今自分が見せられるものをどんどん発信していくことが大事なのではないでしょうか。
昔は才能があっても知られずに終わってしまう人も多くいましたが、今はいろんな人や事務所が常にチェックしていますからね。そこに面白い、刺さるものを投下していけば何かしらに引っかかるんじゃないかと思います。

ただ、もちろん僕らでも「この曲は絶対刺さるだろ!」と思ってリリースした曲が全然だったりするときもあるので、そこは挑戦し続けていくしかないのかなと。

これまでの道のり

ーーマサナオさんはいつから音楽を始めたのでしょうか?

父が音楽好きで小さい頃から音楽は聴いていたのですが、実際にやろうと思ったのは高校2年くらいの頃ですね。最初はギターで、THE YELLOW MONKEYが大好きで色々コピーしていたんですが全然できなくて。2,3日で辞めちゃったんです。(笑)
その後親戚のお兄ちゃんの友達からドラムセットを譲ってもらい、ドラムを始めました。そこからは一回も辞めたことは無いですね。馬鹿じゃないかってくらいずっと叩き続けてます。

ーー自宅で叩ける環境があったんですか?

僕は長野県の田舎育ちで、「昼間ならOK」という謎ルールで叩いてました。
でも段々”昼間”の定義が緩くなってきて、夜19時くらいまで叩いていたんです。ほら、田舎の19時ってもう結構夜じゃないですか。すごい怒られて無言電話がきたりしていたことは今でも覚えています。(笑)

ーーなかなかドラマーが練習出来る場所は少ないですからね…。当時はどんな音楽をしていたのでしょうか?

邦楽だとTHE YELLOW MONKEY、LUNA SEA、Hi-STANDARDなんかもやってました。
洋楽だとRage Against the Machine、Red Hot Chili Peppersなどです。

ーーいつから「音楽で生きていこう」と決意したのでしょうか?

高校3年生の頃には思っていました。東京の音楽専門学校に進学しようと思っていたんですが親に反対されて。結局大学に進学したんですが、そこで今のバンドメンバーや在日ファンクのメンバーに出会うことができました。

ーー運命的な出会いが沢山あったんですね。

そうですね。あの時専門学校に行かなくてよかったなと思っています。
当時は「音楽の専門学校に行かなくちゃプロになれないんじゃないか」と思っていましたからね。もちろん人それぞれだとは思いますけど。

ーー大学を卒業した後はどういった道を辿ったのでしょうか?

お金を貯めて1年間アメリカのロサンゼルスに留学しました。そこで初めて音楽学校に行った形ですね。

ーーアメリカへ行くのはかなり勇気が必要だったのではないでしょうか?

そうですね。言葉の壁もありますから。でも日本には習いたい人がいなくて、色々調べた結果留学することを決意しました。

今まで掴んできたチャンスは全てアメリカに行ったからこそ降りてきたものというか、そこから派生するようなものばかりなので本当に行って良かったと思っています。
もしあの時別の選択をしていたら…と思うと怖いですし、今と全く違う人生を歩んでいると思います。

ーー「アメリカに行ったこと」よりも「アメリカでやったこと」が役に立った、ということでしょうか?

うーん…それはすごく難しい質問なんですが、どちらもでしょうか。
僕以外にも日本人は年間何人もその学校に行っているんですけど、やっぱり安心したいのか日本人同士で固まっちゃうんです。僕はそれだと駅前留学と同じじゃん、と思っていたので、無理してでもなるべく外国人と話すようにしていました。そのおかげで授業以外で話すリアルなことやカルチャーみたいなことを学ぶことが出来たんです。

ーー学校ではどのような生活だったのでしょうか?

朝9時から授業が始まり、譜面をスクリーンに投影してみんなでパッド練習なんかをやって、授業が終わったら毎日ライブを観に行っていました。
自宅に帰って軽く仮眠して、午前2時くらいに学校へ戻って練習して…そんな繰り返しの日々でした。今振り返るとよくやっていたなと思いますけどね。

ーー当時マサナオさんを突き動かしていたのは「上手くなりたい」という一心だったのでしょうか?

とにかく自分がここで得られるものは全部持って帰る、無駄にしたくないっていうことしか頭に無くて、お金も無かったですしおかしいくらいの集中力で練習してました。

ーーちなみにドラマーとして、「この練習はやってよかったな」と思うことはありますか?

コピーしてよかったと思うのはTOWER OF POWERのSquib Cakesっていう曲のイントロドラムソロですね。これを完コピしたことで色々見えたものがあったと思います。今でもやってる人は結構いますけど、ドラムレッスンのときはこれを勧めています。

あとはThe MetersのCissy Strutのドラムパターンやハネ具合、音の細かいところもコピーしたんですが、これもいまだにやって良かったと思える曲です。

ーーその後日本にはいつ帰国したのでしょうか?

26歳ぐらいのときです。東京に戻ってきて、色々と居候させてもらいつつバイトをしながら暮らす日々でした。

ーーこの先どうしよう、という不安はありましたか?

滅茶苦茶ありましたよ。いわゆる将来不安ってやつです。毎日何かをしなきゃと思ってネットで色々仕事を探したりもして、でも全然ダメで。
今はこうしてプロドラマーとして活動させてもらっていますが、また違った形での不安はあります。

不安ってきっと絶対に消えないと思うんですが、逆に色々考えて前に進もうとしているからこそ感じるものだと考えています。

ーーそこから何か転機になった出来事があったのでしょうか?

しばらくの間はずっと「何で俺が…」って卑屈なことばかり考えていたんです。同期のミュージシャンが羽ばたいていく中で、どうして自分は注目されないんだろう、とか。

そんなとき、豊橋市のシライミュージックのとしみつさんが僕の演奏動画を見つけてくれて。「この人が今の時点で名前が売れていないのはおかしい」と思ってくれて、ドラムマガジンに売り込んでくれたんです。
そしたら特集を組んでくれて、そこから1年間ずっと色んな形でドラムマガジンに出ていたんですよ。それで色んな人が僕のことを知ってくれました。自分の中でかなりターニングポイントでしたね。

ーー2018年9月号ではついに表紙を飾っていましたね。

とても嬉しかったです。夢が一つ叶いました。

GENTLE FOREST JAZZ BAND「月見るドール」

松下マサナオさんのこれから

ーーマサナオさんをここまで突き動かす原動力はどこにあるのでしょうか?

絶対的な自己表現として「こういうドラマーになりたい」っていうのは常にあって、それを実現するためにライブやトレーニングをしています。そしてそのドラマー像をキープするために山に登ったり映画を観たり猫と遊んだりして自分を保ってます。

ーーマサナオさんが目指すドラマー像とはどういったものなのでしょうか?

テクニック的なところは置いといて、一音一音をちゃんと大切にして「この人だったら大丈夫」だと思ってもらうっていうのは基本あります。その上で人と人を繋いでいけるドラマーになりたいですね。
例えばテクニック志向の人とロック志向、ジャズ志向の人が一緒にいたいたときに、技術的にも人間的にも接着剤になれる人になりたいなと思っています。
今ひなっちとはよく一緒に演奏してますけど、彼のフィクサーとしての能力はすごく高いんです。僕自身色んな方と接点を持つことが出来ましたし、人としてもすごく尊敬しています。考え方や行動の仕方はすごく影響を受けていますね。

僕は以前、何も考えずに自分のやりたいことを伝えるっていうのが一番だったんです。絶対誰にも負けない、みたいな。
でもそういうのって胸の内に秘めておけばいいわけで、それは音で表現すればいいハナシなんです。
今は自分がその場にいることで、少しでも流れが良くなれたらなと考えています。

ーー色んな出会いの中で考え方が変わっていったんですね。

失礼な発言や行動もたくさんしてきましたし、もっと違う出会い方をすれば仲良くなれたかもしれないと思う人は沢山います。
もちろん申し訳ないとも思っていますし色んなしっぺ返しもありますが、その上で今の自分が成り立っているので、若かった自分を否定しようとは思っていませんけどね。

ZA FEEDO 「だとしたら」

ーーありがとうございます。では最後にこれからの活動について教えてください。

ドラムに関しては音楽の幅を広げたいという思いがすごく強い時期で、色んな具体的な目標もあるのでそこに向かって行動していきたいですね。
好きなことを仕事にできるってとてもラッキーなことですし、もちろんそのためにみんなも僕も色んなことをやってきたわけですが、何より楽しむということが大切だと思っています。

今までは道無き道をガツガツ進んで開拓していくような活動だったんですが、拓けた場所で受ける影響も沢山あると思うので、新たな方向性にもどんどんチャレンジして色んな人と会ってみたいですね。

ーーありがとうございました。

Yasei Collective「Splash」

ライブ出演情報

Yasei Collective Live Tour 2018 “stateSment”の情報はコチラ

取材・執筆:momo (田之上護/Tanoue Mamoru)

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profile:1995年生まれ。Digital Performer・Ableton liveユーザー。音楽学校を卒業後作曲家として福岡から上京。
2017年8月ツキクラ「STARDUST」に作・編曲で参加し作家デビュー。
「心に刺さる歌」をモットーに、作詞作曲・編曲からレコーディングまで全てをこなすマルチプレーヤー。
アートユニット「Shiro」の作編曲担当としても活動中。

ホームページ:Music Designer momo
TwitterID :@momo_tanoue